
「人の一生は重荷を負うて遠き道を 行くがごとし。 急ぐべからず。」-徳川家康遺訓- 法務部 吉澤遵和

今回紹介させていただく言葉は、天下泰平、江戸幕府を築きあげた徳川家康公の遺訓です。この遺訓には下記の通り、続きがります。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
現代の言葉に直すとおおよそ次の通りです。『人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。』
浄土宗と徳川家とは深い関わりがあります。もともと家康は、三河国(現在の愛知県)の小豪族でした。徳川を名乗る前は、松平家康と「松平」の姓を名乗っていましたが、権威を高めるために「徳川」に改姓しました。
永禄三年桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、家康は岡崎に戻り、松平家の菩提寺である浄土宗大樹寺にある先祖の墓前で自害しようとしましたが、住職である登誉天室(とうよてんしつ)に思い止められ、「厭離穢土(えんりえど)・欣求浄土(ごんぐじょうど)」(※現実の世の中は穢れた世界であるから、この世界を離れ、後の世において清らかな仏の国に生まれることを願い求めること)の旗印を授けられた逸話が残っています。また、浄土宗大本山増上寺でも、家康公が深く尊崇し、その加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという阿弥陀如来像「黒本尊」が安国殿に御安置されていたり、晩年の日課として「南無阿弥陀仏」と記した自筆の日課念仏が残されているなど、非常に熱心な念仏者であったことが伺えます。
家康公の遺訓を読むと「自分の行動に反省せよ」や「いかりは敵と思え」など、仏教的なところが散見されます。家康公が生きられた時代は、現代のように医療が発達していません。幼少に亡くなってしまうことが多かったそうです。たとえ成人したとしても戦で生き残れるかどうかも分からない、今よりもっと死が身近であった時代です。そんな不安が尽きない世を生きられ、天下を取った家康公が約260年と続く江戸幕府の支柱を築きあげられたのは、阿弥陀仏の救いを信じ、お念仏の御教えを心の支えとしたからではないでしょうか。
合掌