明顕山 祐天寺

公開日:2024年7月4日  

忘るるな 汝の寿命(いのち) 一呼吸 法務部:黒澤崇弘

先日、私が大学生の時から長らくお世話になっていた恩師が亡くなりました。まだ御年60歳でしたが、病気により阿弥陀様の極楽浄土へ往生されました。その先生は、とても学生熱心に学生を指導しており、私たちの頑張りを見守るように優しく指導をしてくださった方でした。先生から教えていただいたことは多くありましたが、その教わったことを発揮して恩返しをする前にこの世を去ってしまいました。本当にやりきれない思いです。ここ一年ぐらいとてもお体の調子が悪そうであったのですが、ご病気のことは周りには隠しておられました。ご自身の為すべきことを為すため、病体の苦痛を押し通して最後までやり切って現世での命を全うされたのです。

 

「人はいつか必ず死ぬ」私はこの事実を頭でわかっているようで、本当のところでは全く理解できていんだなと改めて痛感させられました。もし先生がご存命の時、「一か月後先生とはもう会えない」とわかったら、次に先生にお会いした時に私はどうするでしょうか。最期の講義の時には、一言一句漏らさないという覚悟でそのお言葉を聞くでしょうし、感謝の言葉をお伝えすると思います。しかし、先生と最期にお会いした際に、私はそのような意識を持ってはいませんでしたし、そのような行動はとりませんでした。私が「人はいつか必ず死ぬ」ということを理解していないからこそなのでしょう。

 

『四十二章経』というお経典では、人間の寿命についてお釈迦様とそのお弟子さんの問答が説かれています。

 

ある日、お釈迦様が弟子たちにこのように問うた。

「皆の者、人間の寿命というのは、どれぐらいの時間が残っているだろうか。わかる者はいるか?」

「お釈迦さま、人間の残りの寿命は数日ぐらいでしょうか」

「お前は私の教えを理解していない。他にわかるものはいるか?」

「では食事をするぐらいの時間でしょうか」

「違う。お前も私の教えを理解していない」

全くわからない、と弟子たちが頭を悩ましているところに、あるお弟子がこう言いました。

「お釈迦様、人間の残りの寿命は、一呼吸の間でしょうか」

「おお。正解だ。お前は私の教えを良く理解している」 ※1

 

お釈迦さまは「無常」を説かれました。この世に一つとして姿かたちを変えないものはなく、移り変わるという意味です。それは私たちの命も例外ではありません。私たちのこの身も、老いて病気になりやがては死にゆくのです。

 

だからこそお釈迦様は、次の息を吸って吐く一呼吸の間に自身の命が終わってしまうかもしれないという思いで、今この瞬間を大事にして修行をしなさいとおっしゃるのです。次の一呼吸で自らの命が終わってしまうと理解しているのであれば、今この瞬間の考えや行動はおのずと変わるものです。

 

では私たち浄土宗の教えを頂くものが何をするのかと申しますと、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えすることです。この命終わるとき、阿弥陀様や先生がおられる極楽浄土にお迎えいただくため、「仏助け給え」の思いでひたすらにお念仏をお称えするのです。

 

どうか皆様におかれましても、お釈迦様のおっしゃるとおり「あと一呼吸の命」という思いでお念仏の日暮らしを送り、日々を大切にすごしていただきたく存じます。

 

※1 「四十二章経」(『大正新脩大蔵経』17、724a 一部意味が取りやすいように補訳しました。)


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