『人間みんな60点』
「相手が悪い」と考えてしまった事が、誰しも一度はあることでしょう。
自分を省みても許せなかったり、不満を感じてしまうときに、私はこの言葉を思い出します。
「人間なんて、みんな60点だよ。100点の人も0点の人もいないんだよ。」
完璧を目指さず、完璧を求めず、ありのままを受け入れて進むことが出来るこの言葉。
教えて下さったのは、現在祐天寺にて法式(お経や作法)のご指導をして下さっている顧問の山本晴雄上人でございます。
山本先生は、浄土宗僧侶になる教育課程の授業をはじめ、雅楽や法式を全国の浄土宗寺院へご指導をされており、まさにこの時代の浄土宗を担う存在でございます。
指導者でありながらも、自身をも「60点」であるとおっしゃられ、飾る事のないお人柄でどなたへも分け隔てなくお話しくださいます。
その志はまるで「自らを凡夫である」と申された法然上人の教えのようでございます。
法然上人は〝智慧第一の法然房〟と、その学識の深さをたたえられる程でしたが、凡夫である私たちには基礎的な修行でさえ完全に実践することは難しいのだと実感し、
誰もが苦しみから離れることのできる教えがないかと、20年以上にわたり探し求められました。
そして承安5年(1175年)に「阿弥陀如来のおられる西方極楽浄土へ往生させて頂くことを願い、
ひたすらに南無阿弥陀仏と称えれば全ての者は救われる」という、善導大師のお言葉を知り、法然上人は阿弥陀様の願いと出会い、この教えであれば多くの人が苦しみの世界から救われるのだと確信を得られました。
その教えは850年経ようとする今もなお、脈々と伝えられています。
地位や学識があろうとも、決して傲慢にならず、自身はまだまだ修行中の身である事に気付けば「相手が悪い」という考えは「このように考えてしまうのは自分の未熟さゆえである」と、自分の問題となります。
また、互いに60点である事を思えば、「誰しも良いところ、悪いところがある」「お互いさまなのだ」と、重く感じていた心が少し軽くなることでしょう。
人はみな凡夫であり、凡夫である私たちだからこそ法然上人の教えを信じ、心を込めて南無阿弥陀仏とお念仏をお称えする。なぜならば、私たちがお念仏をとなえて極楽に往生することこそ、阿弥陀仏の願いに他ならないのだから。
合掌
法務部 渡邉雨琉