明顕山 祐天寺

公開日:2023年12月1日  

『今年こそ 今年こそとて 暮れにけり』

もう一か月も経たないうちに令和6年を迎えます。

自分自身、年齢を重ねるにつれ、一日一日あっという間に過ぎ去り、この一年を振り返ってみても「あれもやり残したな、これもやり残してしまったな」というものばかりです。

月日の経つのが早いことのたとえとして「光陰矢の如し」ということわざがあります。「光」は日、「陰」は月のたとえで、「光陰」は年月や月日の比喩表現であり、「矢の如し」は放った矢のように早いという意味です。

フランスの小説家、アンドレ・モーロワは「人生は短い。たとえ、それを長いと思って過ごしている人たちにとっても」という言葉を残しておりますが、私たちの人生は、まさに「光陰矢の如し」と言えるでしょう。

浄土宗を開かれた法然上人のお言葉に「それ、朝に開くる栄花は夕べの風に散り易く、夕べに結ぶ命露は、朝の日に消え易し。これを知らずして常に栄えん事を思い、これを覚らずして久しくあらんことを思う」とあります。

これは、「朝のあいだに咲く美しく勢いのある花も、日暮れ時に吹く風には散ってしまうし、夕暮れ時に草葉の上に置く露は、朝時の日が差せばすぐに消えてしまう。人の命もそのようにはかないものである。この訳が分からないから、いつも変わらずに時めくものと思い込み、この道理を理解しないから、今後いつまでも生きることだと思っているだけなのだ」という意味です。

私たちは不思議な縁で、このたび人間として生まれることができました。しかし、生活の為に骨身を削り生きてきたのが本当のところではないでしょうか。人間として一番大事なこと、はかない生命をはかない生命と知らず、昨日もいたずらに暮れ、今日もむなしく過ぎようとしています。

私たちは何の為に生まれ、何の為に生きているのか。何の為に働き、何の為に財産をつくってきたのか。私たちはやがて年老い、この世を去っていかねばなりません。

だからこそ、仏(ほとけ)は古今を通じて、常住(永遠なるもの)を求めよと教えられたのです。

すなおに仏法を聞き、聞いて行じていくとき、それは尽きぬ泉となって、私どもを永遠に生かす力となってくれるのです。

皆様にとって仏の教えが、未来にかけて明るく勇んで生き抜く力となることを願います。

合掌

法務部 脇川公暢


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