明顕山 祐天寺

更新日: 2023年2月13日   公開日:2023年2月1日  

「天網恢恢疎而不漏(てんもうかいかいそにしてもらさず)」

法務部:黒澤崇弘

 

祐天寺では、毎月法務部の僧侶が幼稚園の園児たち向けに仏教のお話をさせていただく機会がございます。1月16日はお閻魔様の縁日ですので、1月のお話はお閻魔様が主役です。当山によくお参りされる方はご存じかもしれませんが、本堂にはお閻魔様のお像があります。お閻魔様の像を前にして園児たちには次のようなお話をします。「悪いことばかりしている人はこわい地獄に落ちてしまいます。幼稚園の先生やおうちの人がみんなのことを見ていなくても、お閻魔様はみんなのことを見ているんだよ。周りの人が見ていなくても陰で行っている悪いことはお閻魔様に見られています。なので誰も見ていないところでも良いことをしましょうね」と、子どもたちを諭すのです。

 

幼稚園の先生方によりますと、お閻魔様がよほど怖いのか、このお話をした後は園児たちの素行がとても良くなるそうです。園児たちにお閻魔様のお像や、地獄の様子が書かれた絵図を近くで見せていると、先生方が「○○くんも悪いことばかりしていると地獄におちちゃうよ?」と園児たちを諭します。

 

そんな先生や園児たちの様子を拝見しますと、私も子どもの頃「お天道様が見ているよ」とよく言われたことを思い出します。そのような自身の子どもの頃を懐かしみながら思い出した言葉が、標題の言葉です。「天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして漏らさず」と訓じます。「天の巡らされる網はこの上なく大きく、網目こそ粗いが、何一つ取り逃すことはない。悪事をなせばいつか必ず報いを受けることとなる」といった意味です。この言葉は、『老子(ろうし)道徳(どうとく)経(きょう)』という道教の書物に説かれた言葉です。成立は中国の紀元前三世紀ごろ、春秋戦国時代と呼ばれる時代であり、ちょうど原泰久さんの漫画『キングダム』の物語と同じ時代に成立したものです。

 

一方の仏教においては、次のように言われます。仏様には人智を超えた6つの能力、すなわち「六(ろく)神通(じんつう)」が備わっているとされ、そのうちの一つに「天眼通(てんげんつう)」と呼ばれる能力があります。空の上からすべてのものを見渡すように、仏様の目はあらゆるもの、あらゆる全ての世界を見通すことが出来るそうです。当然、この世界に住む私たちの様子、普段の生活から心のうちまでを仏様はご覧になっていることでしょう。

※1

 

「悪事はやがて明るみになる」。「悪い行いは全て自分の身に帰ってくる」。大人である私たちは多かれ少なかれ、自身の経験の中で体感していると思います。しかし、頭ではわかっていても楽な方に流されてしまうのが私たちの常です。「悪いことをしてはいけないよ」という心の天使の声よりも「ちょっとぐらい良いだろ!」と煽り立てる悪魔の声に支配され、陰で行った悪事がうまくいったときには「しめた!ラッキー」と心のなかでせせら笑っています。

 

そんなあさましい私たちの姿を、「天眼通」でもって仏様はしっかりとご覧になっています。「そんなことをしても自分の為にならないのに、なんで馬鹿なことをするのか…」このように頭を抱えているに違いありません。

私たち大人は、嘘をついたり友達をいじめたりしている子どもたちを見ると「そんなことをしてはいけないよ」と注意をすると思います。しかし「どうせばれないだろう」と悪事をしている私たち大人の姿も、仏様からすれば五十歩百歩なのです。

 

先述の祐天寺幼稚園の園児たちは、私のお閻魔様のお話の後、普段より良いことをしようと心掛けることでしょう。しかし一か月もすれば、お閻魔様の話はなんのその。忘れはしないものの、良いことをしようと誓ったその心がけは時間の経過とともに弱いものになっていくと思います。そのような心の弱さは、私たち大人も同様なのではないでしょうか。

 

私たち大人も「常に仏様がみている」という思いを忘れずに、自らを律する生活を行っていきたいものです。

合掌

 

※1道教では「天」という存在が罰を下すと言い、キリスト教では「神」が天罰を下す、と言われます。よく勘違いされている方もおられますが、仏教においては「仏が天罰を下す」というわけではありません。「自業自得」「因果応報」といった言葉は仏教の言葉ですが、仏教においては「自らの行った善行や悪行が原因となり、未来に良い結果や悪い結果になる」と言われます。例えるなら、健康的な食生活を送っていれば健康な生活が送れるが、ジャンクフードばかり食べていると不健康になってしまう、というようなものです。過去の自らの行いが未来の自分を決めるのです。

【参考文献】守屋洋『新釈老子』(PHP文庫、1988)


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