明顕山 祐天寺

更新日: 2021年3月23日   公開日:2021年2月15日  

「人の眼はごまかせても仏さまの眼はごまかせない」

法務部 名木橋大光

 

大学を卒業してから数年が経つ。筆記試験など大学生以来、ほとんど触れる機会はない。受験シーズンになると、眠い目をこすり必死に机と向かいあった学生時代に思いを巡らし、心の中で小さく「がんばれ受験生」とエールを送っている。

 

先月行われた大学入学共通テストの問題が、新聞に掲載されていた。試験を受ける気分を久しぶりに味わいたくなり、テーブルに新聞を広げ1科目だけ挑戦することにした。文系出身の私は迷わず国語を選んだ。到底人に見せられる点数ではなく悔しい思いをしたが、受験部屋に張り詰める、油断をしたら飲み込まれそうな空気感を久しぶりに感じることができ、少し嬉しい一面もあった。

 

大学生1年生の時、私は緊張しながら裏返された問題用紙を見つめていた。卒業には落としてはならない必須の単位だった。落第するわけにはいかない。張り詰めた空気を真っ二つに裂くように、試験監督の先生がこう言ったのだ。

 

「カンニングしてもけっこうですが….」

私は、えっ。と思った。しかし先生はこう続けた。

「先生の眼はごまかせても、仏さまの眼はごまかせないですよ」

 

仏さまの眼は特別で、私たちの姿、さらにはその心の中まで見ることができるのだ。人の眼はごまかすことができても、仏さまの眼は決してごまかすことはできない。

 

8年経った今でも、先生のこの言葉が頭から離れない。この言葉が頭に浮かぶ度に、ふっと立ち止まり、自分の行動や言葉、心の中を見つめてみる。振り返ると、反省しなきゃならないことを山ほどしている自分に気付く。仏さまはそんな自分をどのようなお気持ちでご覧になっていたのかと思うと、恥ずかしくなる。しかし、そう思えたことは無駄ではない。次こそは仏さまに恥ずかしくない日暮らしを送ろうと思い、行動や言葉や思いが変わってくるのだ。

 

8年前には気付くことができなかったが、今では思う。

心の中まで見て下さる仏さまに、私は日々育んでいただいている。

 

なんともったいないことだろうか。いつも見守って下さる仏さまに感謝を忘れることなく、日々の生活を送らせていただこう。

合掌

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