『今が幸せ』
日向 哲空
この3月で47回目の誕生日を迎えることとなりました。
自分の今までの人生を振り返りますと様々なことが思い出されますが、山あり谷あり、右へ
曲がり、左へ曲がり、走ったり、立ち止まったり、と決して平たんな道のりではなかったと
感じます。
これをご覧になられている皆さまの人生も、また同じでありましょう。
ある時には心の底から笑うようなこともあれば、またある時には苦しみ、悩み、人知れず
涙を流すようなこともあったのではないでしょうか。
仏教をお開きになられたお釈迦さまはこの様に仰いました
「目に入った者も、目に入らなかった者も
遠くにいる者も、近くにいる者も
もう生まれているものも、これから生まれてこようという者も
生きとし生けるすべての者は、みな幸せであれ」 『スッタニパータ』第147偈
私たちが、この限りある命を幸せに送ることが、お釈迦さまの願いであるわけですね。
ところで「幸せ」って何でしょう?
どういう時に皆さまは幸せを感じますか?
どうすれば、皆さまは幸せになれると思いますか?
「求めれば求めるほど幸せは遠ざかる」というような言葉もありますね。
それでは、今一度、私たちの身の周りの物事を見直してみましょう。
例えば、両親がいるということ。手足があり自分で物を取ることや、行きたいところへ行けるということ。音を聞いたり、声を出すことができるということ。笑ったり泣いたりできるということ。ご飯を食べることが出来るということ。この世に命をいただき、今を生きているということ。この世でご縁をいただき、お会いさせていただいた大切な皆さまと、今、ともに過ごすことが出来ているということ。
これらは身の回りの一部の物事ですが、もしかすると皆さまにとって有るのが当然と感じ
るものばかりかもしれません。
有ることが当然のものが有ったとしても、それを喜んだり、幸せと感じることは難しいです
よね。
ですが、よくよく考えてみますと、現在、私たちが手にしている、それらすべてのものは、
同時にいつの日か必ず手放していかなければならないものばかりでもあるのです。
そこで、考え方を少し変えて「必ず手放すことになるもの、いつ手放すことになるかも分か
らないものが、今ここに有る」と思うことが出来たらどうでしょう。
こんなに幸せなことはないかもしれませんね。
今、自分にあるものを、しっかりと見つめ直し、それを有り難いと喜ぶ生活を送ることが
「今を幸せに生きる」ひとつの方法となっていくのではないでしょうか。
合掌