明顕山 祐天寺

初心 ~幸せを求める~

法務部 佐藤隆常

 

皆さんはこの言葉を見て、どのようなことを思い浮かばれましたか?人生において、様々な起点で思われることが多いと思います。

例えばスポーツ選手がプロになって初めての会見などに「初心を忘れずに頑張ろうと思います」というコメントをよく見かけます。スランプに陥った時には「初心を思い出して本来の力を取り戻したい」などと使われたりもします。この場合の「初心」は「初めてその道に入った時のがむしゃらな気持ち、志し」を差すのかと思います。その心は何事にも大切なことと思います。人生の起点で思われたことですから、様々なことでヒントになったりもします。

 

さて、この「初心」という言葉ですが、仏教用語として使うときは少し違った意味合いになります。仏教辞典では「『初発心』の略として、仏教では初めて仏道を求める心を起すこと。またその心境、段階をいう」とあります。「初めて仏道を求める心」ということですが、では「仏道」とは一体何なのでしょうか?

 

簡単に言うとお釈迦様のみ教えに基づいて、苦しみや悩みから逃れ、生きとし生けるものの幸せを求めることです。

仏教をお開きになったお釈迦様は、あらゆる苦しみや悩みを起こす真理を悟り、根元を見つめることで苦しみや悩みを無くす方法を説かれました。生きとし生けるものすべてが幸せになるために。お釈迦様はその人の能力や素質に応じて、内容を変えて、その人が幸せになるための方法をお説きになりました。それはひらめきででたらめを言うのではなく、お医者さんがその人の症状に合った薬を処方するのと同じです。同じ鼻水が出るという症状であっても、その人から症状を聞いて診察し、原因が花粉症であれば花粉症の薬を、風邪であれば風邪薬を、といったように、その人に合った説法をされました。そして八万四千とも言われる、多くのみ教えを残されました。それが経典として現在も残っています。その一つ一つのみ教えに苦しみや悩みを無くしていく方法が説かれています。その多くのみ教えの中から、自分に合ったみ教えは何なのか、拠り所とする経典は何なのかで宗派が分かれています。

 

当山は浄土宗という宗派のお寺です。浄土宗は、宗祖法然上人が今の私たちに適している方法として指し示してくださった『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』という経典を拠り所としています。

浄土宗ではその三部の経典のみ教えから、「南無阿弥陀仏」というお念仏をお称えし、この世を去るときには阿弥陀仏という仏様の建てられた、極楽浄土という国に生まれさせていただくことを目指します。「心から救いを求めてお念仏をお称えすれば、必ず極楽浄土へ生まれさせる」という阿弥陀仏のお誓いを信じて実践することで叶うのです。そして、死後の不安をも打ち消すことで心豊かにし、今を明るく、正しく、仲良く暮らしていくのです。

 

どうぞ「初心」を持たれている方、またはこれからという方も、お念仏を通して今を明るく、正しく、仲良く、幸せを求めてまいりませんか。

合掌

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