明顕山 祐天寺

「花散らせ 今吹くこの嵐は まさに春泥棒」

                                    井村真大

 

今回の掲示伝道はヨルシカのn(ナ)-buna(ブナ)さん作詞、作曲の『春泥棒』という曲の一節です。この曲は「命」をテーマにした曲ということで、歌詞の中の様々な言葉が「命」を表現しています。

 

例えば、歌詞の中で「桜」を彷彿とさせる言葉は「人の命」や「寿命」を表しています。そして、「風」を彷彿とさせる言葉は時間を表しています。つまり、曲名になっている『春泥棒』というのは人の寿命を時間が減らしていくということを、風が桜の花びらを散らせる様子に喩えているようです。

 

この世のあらゆるものはみな平等に枯れ、色あせ、衰え、そして滅していく。これは世の中の真理であり、変える事のできないものです。仏教をお開きになったお釈迦さまも「この世は無常であり、全てのものは移り変わっていく」とおっしゃっています。もちろんこれは人間も例外ではありません。人間は生まれたその瞬間から、死に向かっているのです。老いを止めることも、死を止めることもできません。

「花散らせ 今吹くこの嵐は まさに春泥棒」という歌詞は、まさにこの「無常」を表しています。春を象徴する桜の花を散らせる嵐は、春を奪っていくもので「春泥棒」ということでしょう。これを人に喩えるなら私たちにとっての「春泥棒」は時間なのではないでしょうか。

 

この歌の続きに「瞬きさえ億劫(おっくう)」という歌詞があります。これは美しい風景を一瞬たりとも見逃したくないという意味が込められているそうです。これは、大切な人たちとの時間を一瞬たりとも逃したくないという意味にもとらえることができます。

 

桜の花は満開になると多くの人を魅了します。そして人が人生を一生懸命生きていく姿も同じくらい美しいものです。

私たちはいつか必ずこの命を終える時がやってきます。しかし、人生というのは「瞬きさえ億劫」なくらい一生懸命になったり、大切な人との時間を大切にするからこそ、儚く美しいものなのではないでしょうか。

 

人生は一度きりです。この一度きりの人生を桜のように美しく過ごせるように、日々精進して参りたいものです。

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