明顕山 祐天寺

 

「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義」

 

法務部 吉澤遵和

 

これは『開経偈』という偈文です。現代語に訳しますと、「この上もなく深くすぐれた仏さまのみ教えには 永遠の時を経てもありえないほど 出会うことは難しいことです 私は今 そのみ教えを受けさせていただくことができました その真の意味を理解し身につけたいと心から願うものです」という意味です。

 

私たちはいつか命が終わる時が必ずきます。古代インド思想を取り入れた仏教では、私たちが亡くなると生前の行いによって、「地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天」この6つの世界を生まれ変わり死に変わりする「六道輪廻」という考え方があります。

 

今、人間として生まれていても次に生まれ変わるのはどこか世界か分かりません。

あれも欲しいこれも欲しいと思う欲の心や、ついつい腹を立ててしまう怒りの心、これらの心を消すことが出来ない私たちは地獄・餓鬼・畜生の迷い苦しみが多い世界に生まれてしまうと、お経には説かれています。そのような世界に生まれないため私達に何ができるのでしょうか。それを解決していくのが阿弥陀様のお念仏です。

 

浄土宗をお開きになられた法然上人は、私たちがこの世で自分だけの力で悟りを得る修行をするのは非常に難しいと考えられました。そのような私たちでも救われる教えがないのかとお考えになられ、阿弥陀様の「私の名前を呼んだものは全ての者を漏れることなく必ず救いとる」というお念仏の御教えに辿りつかれました。

 

お念仏をお称えすることによって、私たちが命終わるその時には必ず、阿弥陀様が救い取ってくださり、極楽浄土に迎えて下さると説かれています。お念仏はどこでも、誰でも、どんな時でもできる易しいご修行です。

 

人として生れ、仏様の御教えに出会えたことへ感謝し、日々の生活で南無阿弥陀仏とお念仏をお称えしていきましょう。

合掌

TOP