明顕山 祐天寺

「さへられぬ 光もあるを おしなべて 隔(へだ)て顔(がほ)なる 朝(あさ)霞(がすみ)かな」

この和歌は、法然上人二十五霊場の一つである、東大寺指図堂(さしずどう)の御詠歌で、春の御詠歌とも言われております。

 

東大寺指図堂の歴史は、鎌倉時代に入る直前、平重衡(たいらのしげひら)により東大寺や興福寺など南都の町々が焼き討ちされ、ほぼ壊滅的な被害を受けた事件に端を発します。後白河(ごしらかわ)法皇(ほうおう)は、一刻も早く東大寺を再建したいと願われて、東大寺造営の勧進職に法然上人を内命されたのですが、法然上人はその名利を厭い専修念仏の身であるとこれを辞退され、弟子の俊乗坊重源上人を推挙されました。指図堂は、重源上人が東大寺を再建する指図(設計図)を収蔵するために用いられたお堂です。

 

「すべての人を隔てなく救い取ろうとされる阿弥陀さまのお慈悲のみ光は、遮ろうとも遮ることができません。ただ、朝霞が春の光を隔てるように、私たちの疑い迷う心が慈悲の光を隔てようとします。しかしながら、阿弥陀さまは、たとえ疑い迷う心を持ってもお念仏を称える人を照らし、救い取ってくださるのです。」

 

仏説『観無量寿経』というお経典には、次のような一節があります。

「阿弥陀さまの光明は、あまねく全ての世界を照らして、お念仏を称える私たちを摂め取って極楽浄土へ迎えてくださる」

 

法然上人は、阿弥陀さまの光明には、全ての世界を照らす「常光」と、お念仏を称える者を救い取る「神通光」があると説いておられます。

 

「常光」は、すべての生きとし生ける者を分け隔てなく照らしてくださいます。阿弥陀さまのみ心にそって「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えすれば、その「常光」を「神通光」として受け止められるようになり、幸せな日暮らしを送り、極楽浄土へ往生が叶うのです。

合掌

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