明顕山 祐天寺

「曼珠沙華 抱くほどとれど 母恋し」

大正・昭和期の女流俳人、中村汀女(ていじょ)の作品です。曼珠沙華(彼岸花)をとる行為により、故郷への思いや母への思慕の念を抱いている様子が伺えます。お彼岸に真っ赤な花弁を広げる曼珠沙華のあでやかさの中に潜む、はかなさに託した想いが切々と感じられます。

 

葉のない茎の先に花が付く曼珠沙華は、普通の植物とは違う成長をします。冬の終わりに出た細い葉が、春の終わりとともに枯れてなくなります。秋には伸びた茎に赤い花を咲かせます。葉は花を知らず、また花は葉を知らないことから、曼珠沙華のことを「葉見ず花見ず」と言うそうです。それぞれの存在は知らずとも、しっかりと命のバトンを引き継ぎ、毎年キレイな花を咲かせます。

 

「お彼岸」は太陽が真西に沈む「春分の日」「秋分の日」を中日として前後3日間、合わせて7日間の仏道修行週間です。

「彼岸」とは「彼の岸」、つまり「向こうの岸」のことで、迷いの世界である「こちらの岸」、「此岸」に対するものです。古代インドの言葉「波羅蜜多(パーラミター)」を訳したものとされ、「到彼岸」、つまり四苦八苦のあるこの世界、娑婆世界から、苦しみ、悲しみのない阿弥陀さまの西方極楽浄土に到達することを示しています。

法然上人が師と仰いだ中国の善導大師が書いた『観経疏』には、「春分・秋分の日には、太陽が真東より出て、真西に没していく。その落日する真西の方角にある西方浄土を観想して往生を願う」仏道修行が説かれています。そして、「私たちが阿弥陀さまを憶念すれば、阿弥陀さまも私たちを憶念してくださる。阿弥陀さまと私たちとは決して離れることはない」ともお示しくださいました。

 

国民の祝日に関する法律によれば秋分の日は「先祖をうやまい、なくなった人々をしのぶ」と謳われております。

実りの秋に際して、「お彼岸」を通して私たちに命のバトンをつなげてくださったご先祖さまに感謝をするとともに、より一層お念仏に励んでいただく仏道修行の期間にしていただきたいと思います。

合掌

祐天寺法務部 竹村 崇邦

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