明顕山 祐天寺

「地獄の釜(かま)の蓋(ふた)も開(あ)く」

 

何も知らずにこの言葉を聞くとまるでこの世と地獄が繋がるような、何か悪いことが起きるイメージを持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。普段なかなか使いませんが「地獄の釜の蓋も開く」ということわざです。地獄では毎日休み無く亡者達を釜ゆでなどの拷問をしている獄卒(鬼)も正月と盆の16日だけは釜の蓋を開けてお休みします。この二日間だけは亡者も拷問の苦しみから解放され、毎日忙しい獄卒達でさえ休むのだからこの世の人達も正月と盆の16日を閻魔(えんま)様の縁日としてお休みましょうという意味でございます。今回は閻魔様の縁日にちなんで閻魔様と地獄について少しお話したいと思います。

『十王(じゅうおう)経(きょう)』というお経では、人は死んですぐに地獄や極楽に行くわけではなく、死後は魂となって冥界を彷徨い、七日ごとに十人の裁判官によって亡者の生前の善悪や罪の重さをはかられ、その裁きを受けなければならないそうです。閻魔大王が最終審判を行うと思っている人が多いと思いますが、閻魔様は5番目の裁判官であり「浄玻璃(じょうはり)の鏡」で亡者の善悪を見抜きます。この鏡は亡者の生前の行いや心の中をすべてさらけ出す鏡であるため隠し事はできません。生前の行いによって地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上といった六道のどの世界に行くのか、地獄であれば罪の内容によって八大地獄のどこに堕ちるかの判決が下されます。八大地獄とは、罪の軽い順に等(とう)活(かつ)地獄・黒縄(こくじょう)地獄・衆合(しゅごう)地獄・叫喚(きょうかん)地獄・大叫喚地獄・焦熱(しょうねつ)地獄・大焦熱地獄・無間(むげん)(阿鼻(あび))地獄の8つであり、地下に階層となって広がっていて罪が重いほど下層の地獄に送られ、地獄の種類によって受ける拷問内容も変わってきます。最下層である無間地獄の苦しみは別格で無間地獄以外の7つの地獄の苦しみを合計してさらに千倍であると説かれております。地獄の中では一番優しい等活地獄でさえ鬼に煮られ、殴られ、潰され、殺されてもすぐに生き返らされるを寿命がくるまで何度も繰り返すというのにその苦しみの千倍以上なんて想像を絶する恐ろしさです。

基本的には裁判官の判決は絶対ですが罪を軽減する方法があります。それは残された家族が亡き人のために供養をすることでございます。家族がきちんと追善供養を行っているならば閻魔様の鏡にもその姿が映し出されるそうです。通夜・葬儀が終わったからといって何もしないのではなく亡き人のために七日ごとのご供養もきちんと行いましょう。

                                      合掌

法務部 玉置大祐

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