明顕山 祐天寺

「われはただ 仏にいつか 葵草 心のつまに 掛けぬ日ぞなき」

 

このお詩は「夏の御詠歌」または「大本山百万遍知恩寺の御詠歌」と名付けられ、法然上人御作のものです。

法然上人が一時住まわれた賀茂の河原屋と呼ばれる草庵で、京都賀茂神社の葵祭りをご覧になっていたときにお詠みになられたといわれているお詩です。後にその場所にお弟子の勢観房源智上人が御影堂を建てられたのが、大本山百万遍知恩寺の起こりであります。

 

後醍醐天皇の御代、京都に大地震が起き、更に悪疫が流行しました。天皇は大変心配なされて、知恩寺の第八世空円上人に、悪疫退散の祈願を命ぜられました。上人は衆僧を集めて、百万遍のお念仏を修せられたところ、悪疫は次第に治まり、人心も落ち着いてまいりました。その功により、「百万遍」という勅額を賜り、その後「百万遍」の通称で親しまれています。

 

「葵草」というのは、双葉葵の別名です。京都の葵祭りはこの草を掛けて行うので「掛葵」の名があります。み仏に心を掛けることを「掛葵」としてお歌いになられました。

 

『私はただひたすら、いつかみ仏様(阿弥陀様)にお逢いするのだという想いを、葵をものの端に掛けて飾られるように、心の中に掛けない(想わない)日はありません。』

 

法然上人は一日に六万遍ものお念仏をお称えになられたと伝えられております。お念仏をお称えすることで阿弥陀様がお誓いになられた御本願に触れ、極楽浄土にお生まれさせていただけるというみ教えを信じ、「いつも阿弥陀様にお会いしたいと願い、片時も心から離さない」という思いを歌われました。

 

日常の生活をしていますと、様々なことに気を取られてしまいがちな私たちですが、せめてこの阿弥陀様のみ教えだけは片時も離れないよう、お念仏をお称えして往きたいものです。

合掌

祐天寺法務部 佐藤隆常

 

TOP