明顕山 祐天寺



 

「あめつちの 中に我あり 一人あり」

 

4月8日は、お釈迦様の誕生日です。当日は、当山でも本堂正面に様々な草花で飾った花御堂を設置し、皆さまと共に、お釈迦様の誕生日をお祝いしております。花御堂の中のお釈迦様の像は、誕生仏と言われ、その右手を挙げて天を、左手を垂れて地を指しております。

これは、お釈迦様が、お母様のマーヤー夫人の右脇から生まれると、すぐに7歩すすんで、天地を指し《天上天下唯我独尊》とおっしゃったとの伝説に基づいているものです。

 

「唯我独尊」は、「ただ我れ独り尊し」と読みますが、それは自分が一番偉い、ナンバーワンだという意味ではなく、一人一人が、皆かけがえのない尊い存在である、オンリーワンであるという意味です。

 

『宮本武蔵』や『三国志』などの作品で知られる作家の吉川英治さんは、「あめつちの 中に我あり 一人あり」と詠んでおります。

天地の中のちっぽけな私が、自分ひとりの力で生きているのではなく、動物や植物、ありとあらゆるものに支えられて生かされている身であり、「有難い」存在であるという確認の中からでた詩であります。

 

「有難い」。「有難い」とは、あることが難しくて稀なこと、ありそうにもないこと、それが、この身に起こり、感謝の気持ちを表すときに使う言葉です。

何もかもが当たり前になってしまった今、「有難い」と思うことが少なくなってきたように感じます。しかし、よくよく考えてみますと、衣・食・住、全てにおいて、当たり前のことなど何一つ無く、あることが難しいものばかりです。当たり前に思っていることが、実はとても「有難い」ことであり、その「有難い」中で、私たちは生かされているのです。

 

お釈迦様は、人として生まれることの難しさを「天空より、すーっと1本の糸を垂らし、その糸が大海原のどこに沈んでいるか分からない、たった1本の針の穴に、1回で、すっと通る」それほどまでに大変なことだとおっしゃっておられます。

私たちの命とは、それほど不可思議で「有難い」ものなのです。

 

自分の命だけでなく、他の方の命もまた、多くのご縁があってこそ「いただいた命」です。お互いに、大切に生きたいものでございます。そして、人の身として生まれてきたからこそ、仏教、阿弥陀様のお誓いに出会えたことを喜び、日頃よりお念仏の生活を送り、共に極楽往生できるよう精進したいものでございます。

祐天寺法務部 竹村 崇邦

合掌

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