明顕山 祐天寺

「ただ一向に念佛すべし」

 

法然上人のお言葉で「ただひたすらに念佛を称えなさい」という一見シンプルな言葉でありますが、この言葉に込められている想いは大変大きいものでございます。

 

法然上人は比叡山で修行されておりましたが、わずか数年の間で周りからは「智慧第一の法然房」と呼ばれるほど大変優秀な僧侶だったそうです。しかし法然上人は周りからどんなに好評を博しても「それでも自身はろくに修行もできないし戒律も完全に守れない愚かな人間である」と自身を厳しく評価して見つめ直します。

どうにか迷いが多く、罪深い人であっても救われて誰でも実践できる方法はないものかとさらに勉学に励みます。ある時は高僧に教えを乞い、ある時は膨大な経典や文献を5度に及んで紐解いてようやくお念仏の教えと出会います。

それが中国の高僧である善導大師の『観経疏』に説かれる「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざる者、是を正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に」という一節でございます。この一文との遭遇によって浄土宗の開宗にいたり「開宗の文」として浄土宗では非常に尊重しております。

法然上人が最初に比叡山に入ってから30年もの月日が経過してようやく求めていた教えに出会えたその喜びは計り知れないものだったのではないでしょうか。

 

法然上人の「ただ一向に念佛すべし」という言葉には善導大師の「一心に専ら弥陀の名号を念じろ」というお言葉と、どうにか迷いのある私たちを救いたいという深い想いが込められていることを噛みしめ共にお念仏に励みましょう。

合掌

祐天寺法務部 玉置大祐

TOP