「たった一つしかない自分を たった一度しかない人生を 本当に生かさなかったら
人間にうまれてきた甲斐がないじゃないか」
大正から昭和に活躍された小説家である山本有三の「路傍の石」をご存じでしょうか。
この小説は、愛川吾一という1人の少年が、様々な困難に立ち向かいながらまっすぐに成長していくという物語です。
この言葉は、主人公である吾一の小学校時代の担任である次野先生の言葉です。
あらためて自分というものを考えてみますと、この地球上には何百万という種類の生き物がおりますが、今、私は人間として生まれることができました。
仏教では生きとし生けるものは、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)という世界を生まれては死に、それを永遠と繰り返している、輪廻という思想があります。
輪廻という思想から考えてみますと、人として生まれるチャンスは、よほどの事がない限り無いのです。
浄土宗を開かれた法然上人も、人としての生を受けることの難しさを、「人身をうる事は梵天より糸を下して大海の底なる針の穴を通さんがごとしといえり」と言われております。
しかし人として生まれても、この世の中、様々な悩み苦しみがあり、自分の命だけをとっても、いつかはこの肉体とも離れてはいかなければならない辛い現実ではありますが、人として生まれたからこそ、仏教の教えに出会え、法然上人がお導きいただいたお念仏の教えに出会えたのです。
たった一つしかない自分、たった一度しかない人生だからこそ、私たちは仏教の目的である、悩み苦しみから離れる為にお念仏を継続することが、この命を生かす大事であることを、この言葉から学ばせていただけるのではないでしょうか。
合掌
祐天寺法務部
脇川 公暢