「腹立たば鏡を出して顔を見よ 鬼の素顔がただで見られる」
先日、3歳の息子と留守番をしている時に、まったく言うことを聞いてくれないので、カッとなり大きな声を出してしまいました。叱った後に、昼寝している寝顔を見ながら、反省しましたが、私もまだまだ、親としても3歳なのだなあと感じました。皆様はこのような怒りの心を持つときはないでしょうか。
仏教では、怒りは煩悩という迷いの心の代表的な一つで、瞋恚(しんに)といいます。
私は怒っている時に自分の顔を見たことはありませんが、子供に怒っていた時は鬼のような顔になっていたのかもしれません。普段はかわいいと思っていても、どんな時に怒りの心が湧いてくるか分かりません。このように、煩悩に覆われた私達ではないでしょうか。
では、私達はどうすればよいのでしょう。法然上人は「私達がお念仏を称えれば、阿弥陀様の光明に照らされる功徳によって、どんなことにも耐え忍ぶ修行をしている方と同じようになり、怒りの心が消えていくのですよ」と説かれました。
なぜでしょうか。それは歓喜光という光に照らされるからなのです。阿弥陀様は十二光仏とも言われ、十二種類の光明を具えておられます。それぞれに、様々な功徳がありますが、その中でも歓喜光という光に照らされると、だんだんと怒りの心が抑えられていくのですよと、お経に説かれているのです。
これは煩悩が完全に無くなるのではなく、夏の暑い太陽が雲に隠れて、日差しが和らぐように、お念仏をする以前は直接煩悩が浮かび上がってきていたのが、その活発な働きが抑えられ、自然に心が入れ替わってくるのです。私達はあまり意識しませんが、阿弥陀様の光明は、常に私達を照らして下さっており、様々な功徳を頂いているのであります。
皆様もどうぞお念仏から離れずに、阿弥陀様の尊い光明に照らされ、心安らかな日々をお過ごし下さい。
合掌
祐天寺法務部 竹内正俊