明顕山 祐天寺

「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかえりて極楽にうまるとしるべし」

このお言葉は法然上人御法語前篇第三章 聖浄二門での一説であります。
聖道門とは、この世で修行を行い、仏様の御教えを通して物事の正しい見かた、生き方(智慧)を極め、自分の力で日々の生活にある貪り・怒り・愚かさなど(煩悩)を断ち切り、覚りを得て仏様になろうとする教えです。

一方、浄土門とは、「我が名を称えた者、全てを平等に救い取る」という阿弥陀様の御教えを信じ、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えすることです。
仏教では死後、生前の行いによって地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の6つの世界(迷いの世界)を生まれ変わり、死に変わりを繰り返していると説かれています。迷いの世界から阿弥陀様のいらっしゃる極楽浄土に生まれさせて頂き、そこで覚りを得て仏様になろうとする教えです。

法然上人は、聖道門とは険しい道を自らの脚で歩くようなものであり、浄土門とは海の上を大きな船に乗って渡るようなものであると分かりやすくお教えくださいました。
自分のように煩悩に囚われて迷いの世界から抜け出せない者(凡夫)が、自らの力で覚りを得る聖道門の教えでは救われることが出来ない。
救われる為には浄土門しかないのだと、お念仏の道を明らかにしてくださいました。

私たちは、自分の力で煩悩を断ち切ることが出来ない愚かな凡夫と自覚し(愚痴)、極楽浄土に救い取って頂くため阿弥陀様の御教えを信じることが大切です。

その為にも共々に日々のお念仏を大切に相続してまいりましょう。

合掌

祐天寺法務部 吉澤 遵和

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