明顕山 祐天寺

「念仏の興行は愚老一期の勧化なり。されば念仏を修せん所は、
貴賤を論ぜず、海人・漁人が苫屋までも、みなこれ予が遺跡(ゆいせき)なるべし」
~法然上人のお言葉~

「法然上人様、真言宗の空海上人は金剛峯寺、天台宗の最澄上人は延暦寺を自身のゆかりのお寺として建立されています。しかし法然上人様にはそのようなゆかりのお寺が未だございません。万が一のことがあった場合、わたくしたちはどこを法然上人様の遺跡(ゆいせき)とすればいいのですか」
晩年、お身体の調子が悪くなっていく法然上人に向かって弟子の信空上人がこのように尋ねました。
遺跡(いせき)とは、三内丸山遺跡や記念館など、過去の出来事のあった場所、ある人物の記念とされる場所や建物のことを指します。ここでは遺跡(ゆいせき)と読み、文字は同じであっても、法然上人ゆかりの寺院のことを指します。
信空上人というのは、多くのお弟子の中でも法然上人のお近くでお仕えになったひとりで、法然上人の最初のお弟子とされます。そんな信空上人にとって、いや法然上人のお弟子全員にとって、これまで「南無阿弥陀仏」お念仏のみ教えをお説き・お示し下さり、お導き下さる法然上人はいなくてはならない存在でありました。その存在がいなくなってしまうかもしれないということ、これは大変な状況です。当時、天台宗には比叡山延暦寺、真言宗には金剛峯寺が最澄上人・空海上人の遺跡として建立されていましたのでそんな現状を見ていたお弟子は、法然上人が往生された後も法然上人を身近に感じることができる場所、お念仏のみ教えが広がっていく拠点が定まっていないということに対する不安もあったのではないでしょうか。
信空上人のその質問に対し、
「遺跡を一つの場所に定めてしまうと、そこへお参りできる方を除き、遠くに住み、足を運べないその他の方にはお念仏のみ教えが伝わりません。お念仏のみ教えは一人でも多くの方に広く行き渡らなければならないのです。お念仏のみ教えが一人でも多くの方に行き渡らせること。これは私が生涯・命をかけて行ってきたことです。ですから、お念仏の声がするところはどこであっても全てが私の遺跡(ゆいせき)となるのです」
法然上人はこのようにお返事をされたのです。法然上人は、どれほど至らぬ存在であっても「南無阿弥陀仏」お念仏によって救われる道があることを、ご生涯をかけてお示し下さいました。法然上人は「お念仏のみ教えを広めることで死刑に課せられるとしても、このみ教えを伝えないわけにはいかないのです」とまで仰っています。救われる道がないことを嘆いている人がいる。私はそこへ行って、誰もが救われる道を示さなければならない。法然上人が命にかえてでもお念仏を広めずにはおれなかった理由です。

法然上人がそのご生涯をかけてお示し下さったお念仏のみ教え。自宅でも、道ばたでも、布団の上でも、その声がする場所は全て法然上人にゆかりのある場所、遺跡(ゆいせき)となるのです。たとえどれほど立派な寺院・お仏壇・墓石があったとしても、お念仏がなければ法然上人とはまったく縁もゆかりもないのです。法然上人が全国に散らばるお念仏の声、自身の遺跡(ゆいせき)をご覧になったならば、どれほどお喜びになるでしょう。お念仏のみ教えを命をかけてお示し下さった法然上人のご恩に報いる為にも、共々にお念仏の日暮をお送りいたしましょう。

合掌

祐天寺法務部 名木橋大光

TOP