明顕山 祐天寺

「如来の光明は 遍く十方世界を照らして 念仏の衆生を 摂取して捨てたまわず」

この言葉は私たち浄土宗信者がよりどころにしている『浄土三部経』の中の『観無量寿経』に説かれる一説でお勤めの際は「摂益文」とお呼びしております。普段私たちがお念仏をお称えする前にこの「摂益文」というお経をお称えします。

阿弥陀さまの救いのみ光はどこまでも隔てなく私たちを照らして下さっており、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えした全てのものをだれ一人こぼすことなく極楽浄土に導いて下さるという意味でございます。

浄土宗を開かれた法然上人はこの一説から浄土宗の宗歌である「月影」の御詠歌を詠まれました。「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」

月の光はどこまでも人里に降り注いでいるけれど、月を眺める人以外はその美しさに気がつかない。それと同じように阿弥陀さまの救いのみ光はどこまでも平等に照らしているけれど、阿弥陀さまを信じお念仏をお称えするもののみが極楽浄土に往生できると、月の光を阿弥陀さまの光明にみたてたお歌でございます。

いつどこにいても阿弥陀さまが見守って下さっているのだと信じ、より一層お念仏に励みましょう。

合掌

祐天寺法務部 玉置大祐

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