明顕山 祐天寺

公開日:2022年6月1日  

やれ打つな 蠅が手をすり 足をする

法務部 竹村 崇邦

江戸時代後期の俳人、小林一茶の句です。蠅を叩き落とそうと狙いを定めていると、その蠅が手をすり足をする。その姿が「どうか叩かないでください」と合掌しているように見える。いかにも一茶らしいユニークな観察眼です。

 

その2年ほど前、一茶は「縁の蠅 手をするところを 打たれけり」と詠んでいます。「打たれけり」から「やれ打つな」へ。はたして、一茶にどんな心境の変化があったのでしょうか。

 

一茶は晩婚で、50歳を過ぎてから子どもを授かりました。「さと」と名付けられた女の子。娘と過ごすひと時を詠んだ句が多く残されています。この句は、「さと」が満1歳を迎えた頃の5月に詠まれた句です。「打たれけり」と詠む背景には、可愛くて、可愛くて仕方のない娘の世話をする一茶の親心が伺えます。

その年の6月。一茶は、その可愛い娘「さと」を失います。世間では天然痘が流行り、あっという間に命を奪っていったのです。「この世は無常である」「私たちの命は、はかないもの」。そのことは重々承知であった一茶も、きっと耐え難い悲しみに襲われたことでしょう。

 

やれ打つな 蠅が手をすり 足をする

この句が詠まれたのは、「さと」を失ってから2年後の6月だと思われます。ちょうど三回忌にあたるころでしょうか。かつては、「打たれけり」と詠んだ一茶も、たとえ蠅であっても不必要な殺生は、自身の悲しみを深めるばかりと思い至ったのでしょう。

 

大きな生き物も、小さな生き物も、遠すぎて縁のない生き物も、これから生まれてくる生き物も、強い者も弱い者も、人間も動物も昆虫も植物も、お釈迦さまは「いのち」ある者はみな幸せであれと願われています。

 

「この世は無常である」「私たちの命は、はかないもの」。これは誰もあらがうことのできない道理です。

悲しみや苦しみは、いつも私たちと隣合わせにいます。しかしながら、それはいつ訪れるかは分からず、大きな悲しみや苦しみに見舞われたときに、その悲しみや苦しみに押しつぶされてしまう私たちです。

 

すべてのいのちを大切にしなさい、「生きとし生けるすべての者はみな幸せであれ」。お釈迦さまが、こう説くのは、慈しみの心が、悲しみや苦しみを乗り越える力になることを示しているからではないでしょうか。

合掌

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