明顕山 祐天寺


公開日:2026年2月1日  

「桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 生命(いのち)をかけて わが眺めたり」 岡本かの子

1月16日ごろでしょうか。まさに「新春」と形容するにふさわしい、暖かい日がございました。気温は15度超え、3月並みの陽気です。私は暑がりですので、朝着ていたダウンジャケットを脱ぎ捨て「今年の冬はあったかいなあ」なんて言いながら、半袖で過ごしていたのを覚えています。
ちょうどその日、祐天寺境内の梅の花が咲いておりました。梅の花も「もう春が来ちゃった!」なんて慌てながら薄着になったのでしょうか。綺麗にそのピンク色の花弁を顕わにしておりました。しかし、穏やかな日もつかの間、大寒の時期になりますととても寒い日が続きます。祐天寺では大寒の一週間に寒念仏という行事を行っていますが、例年に比べて寒さが厳しかったような気がいたします。さすがのわんぱく小僧の私も半袖ではなく、再び厚着せざるを得ませんでした。しかし梅の花はそうにもいきません。咲いてしまったが最後、どれだけ寒くてもつぼみに戻ることはできません。厳しい寒さのなか、それでも負けじと花を咲かせている梅の木に、不思議と生命の強さのようなものを感じたのです。

桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 生命(いのち)をかけて わが眺めたり

岡本かの子さんという方の短歌です。「桜の花は、春の陽気を受け己の全生命を懸けてその花を咲かせているのだから、この私も己の全生命を懸けて真剣に桜を眺めよう」。桜は植物ですので「綺麗に花を咲かせよう」という意思を持って咲いているわけではないでしょう。しかし花が咲く諸条件、気候や土壌などが揃えば、どんな困難があろうともその生命の本分を全うするがごとく、いのちいっぱいに花を咲かせます。
それでは、私たち浄土宗の教えを信じる者の目的とはなんでしょうか?それはもちろん、この命終わるとき、阿弥陀さまの極楽浄土に往生することです。実は、そのために必要な条件というのは、たった一つを除いて全ての人に既に揃っているのです。
阿弥陀様は「念仏するすべての者を救いたい」という本願のお力を我々に与えてくださっています。ちょうど日光がすべての植物を照らすようなものです。そして私たちはなんのご縁なのか、このお念仏の教えに巡り会うことができました。これだけの条件がそろっていれば、あとは私たちが「仏助けたまえ」の思いで、いのちいっぱいに南無阿弥陀仏のお念仏をするだけです。

もうすぐ厳しい冬が終わり、春が近づいてきます。やがて祐天寺の境内も、春をぎゅうぎゅうに詰め込んだように祐天桜で満たされることでしょう。
この先の山あり谷ありの人生、私たちには様々なことがあると思います。幸せなことも、困難なことも。しかし、梅や桜の花のように、私たちもいのちいっぱいにお念仏を称えながら生きていくのです。阿弥陀様の慈悲の光に包まれながら、いま、この瞬間を、己の全生命を懸けて「仏助けたまえ」の思いで念仏をお称えし、この先の人生を歩んでいくのです。

合掌

法務部 黒澤崇弘


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