「文字はまるで奇跡ですよ」 -ヨレンタ-
私は先日、『チ。-地球の運動について-』というアニメを見ました。
このアニメは、15世紀のヨーロッパが舞台となっており、天動説が信じられている世界で、禁じられた研究である地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いたフィクション作品です。ちなみに、天動説とは太陽系の中心は地球であり、太陽、月、惑星、恒星などのすべての天体が地球の周りを回っているという学説であり、地動説とは太陽系の中心は太陽であり、地球はほかの惑星とともに太陽の周りを自転(自分の軸を中心に回る運動)しながら公転(太陽の周りを回る運動)しているという学説のことです。ヨレンタというキャラクターは主人公とともに地動説を研究する一員であり、とても頭の良い14歳の女の子です。
この作品の中でヨレンタは「文字はまるで奇跡ですよ。文字を読むときだけは、200年前や1000年前に生きた、かつての偉人たちの言葉を聞くことができ、その一瞬だけ、この時代から抜け出せるし、文字になった思考は、ずっとずっと未来の誰かを感動させることもできる。」と言いました。
浄土宗が開かれる以前、法然上人は、争いが頻発する荒廃した時代の中で、疲弊し修行などままならない人々に対し、仏教の難解な教えはふさわしいのか、という疑問を抱いていました。そこで、自身の学びが正しいか、京都や奈良の寺院をめぐり、各宗の学僧を訪ねますが、満足する答えは得られませんでした。
法然上人は自身を、仏教理解の乏しい存在「凡夫(ぼんぶ)」とし、荒廃した時代に生きる人々は等しく凡夫(ぼんぶ)ではないかと考えます。そして、その凡夫(ぼんぶ)が救われる教えを探し求め、あらゆる経典をまとめた『一切(いっさい)経(きょう)』を何度も何度も読みふけりました。
そうした中、中国唐時代の僧である善導大師がお書きになられた『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』の中の「一心(いっしん)に専(もっぱ)ら弥陀(みだ)の名号(みょうごう)を念じて行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に、時節(じせつ)の久(く)近(ごん)を問わず。念(ねん)念(ねん)に捨てざる者、これを正定(しょうじょう)の業(ごう)と名づく。かの仏の願(がん)に順(じゅん)ずるが故(ゆえ)に」という一文に出会い凡夫(ぼんぶ)もお念仏により極楽浄土への往生がかなうことに確信を得ました。
法然上人がこの一文に出会われたのは1175年であり、善導大師が『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』を執筆したのは7世紀中ごろと言われております。つまり約500年の時を超えて、法然上人はこの一文に出会ったのです。
浄土宗では「南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)」とお念仏をお称えすることを最も大切にしております。私が普段何気なくお称えしているお念仏は、元をたどればお釈迦様が仏教をお説きになり、お弟子さんたちがお釈迦様の教えを必死に覚えて経典にまとめ、その経典が時代を経てインドから中国に伝わり、善導大師が『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』を執筆し、それが法然上人へ伝わり、法然上人から次の弟子へと、何千年にもわたって紡がれたことによって今お称えすることができるのだなと改めて実感致しました。
これからは、過去の偉人たちが現代までお念仏のみ教えを伝え遺していただいたことに感謝し、より一層お念仏をお称えして参りたいものです。
合掌
法務部 井村真大