明顕山 祐天寺


更新日: 2025年7月5日   公開日:2025年7月4日  

『今日ほめて 明日悪く言う 人の口 泣くも笑うも ウソの世の中』

法務部 玉置大祐

このお歌はトンチで有名な一休さんの歌です。人の口というものはいい加減なもので、さっきまでは「あなたは良い人だ」と言っていたのに都合が悪くなると「あの人は酷い人だ」と陰口を言われたりする。このように人の気持ちや評価というものはコロコロ変わり、簡単に移り変わるものなのです。

 

浄土宗の宗祖である法然上人のお歌で池の水の様子を人の心に例えたお歌があります。

「池の水 人の心ににたりけり にごりすむこと さだめなければ」

池の水というものはその日の天気や環境の変化で様々に移り変わります。人間の心も同様で簡単に思いが乱れるもので一定ではないのですよ。という意味です。

お念仏というものは阿弥陀さまを信じ極楽浄土に往生したいと心に願って、口では南無阿弥陀仏とお称えするものですが、なかなか難しいことなのです。もちろん一心に「極楽浄土に往生したい、どうか阿弥陀さまお助け下さい」と願ってお念仏を称えている人もいると思います。しかし、なかには「本当に極楽浄土なんてあるの?」と極楽往生を疑ったり、別のことに気を取られながらお念仏を称える方もいらっしゃるかと思います。

恥ずかしながら僧侶である私もお念仏中に別のことに気を取られてしまうことがあります。ではそんな私はどうしたらいいでしょうか。

 

むかし、明遍というお坊さんが法然上人に次のような質問をされました。「お念仏をお称えしている時に迷いの心が生じてしまうがどうすればいいか」と。法然上人はその問いに対して「欲望と迷いが渦巻くこの世界に生まれたものがどうすれば心が散り乱れないようにできるでしょうか。それは私にもどうしようもできません。ただ心が乱れながらでも南無阿弥陀仏とお称えすれば必ず往生はできます。迷いの心を起こさずにお念仏をするということは生まれつき付いている目や鼻を取り払って念仏するようなものでそれぐらい難しいことだ」と仰っております。

どうしても心が乱れてしまうのが私たち人間なのです。それは法然上人がご存命の時代でも現代であってもいつの時代も人間の心は移り変わりやすく、それはどうしようもないことなのです。ただただ南無阿弥陀仏とお念仏を称えれば極楽浄土に往生することが約束されています。日々お念仏をお称えして皆様と共に精進してまいりたいと思います。

合掌


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