一滴の悪でも水瓶はやがて満たされる
祐天寺では1月16日のお閻魔様の縁日にあわせ、お閻魔様のお像を飾っています。その際、祐天寺幼稚園の子どもたちにも、お閻魔様や地獄絵図を見てもらうという情操教育を行っています。怖いお閻魔様や地獄の様子を見せながら「悪いことをすると地獄に落ちちゃうんだよ!」と言うと泣き出してしまう子もいます。
幼稚園の子どもたちが自由にお閻魔様や地獄絵図を見る時間がありました。その時、普段周りの子を叩いたりしているやんちゃな子Aくんに「Aくんみたいにお友達を叩いていると地獄に落ちちゃうかもよ?」普段の行いを正す意味も込めて笑顔で忠告しました。するとAくんは「そんなことしてないもん」と自信なさげに私の言うことを否定するのです。
Aくん自身も「人を叩くのは悪いこと」とわかっているのでしょう。しかし普段遊んでいるときにはそのことを忘れてお友達のことを叩いてしまうのだと思います。
私たち大人も「悪いとわかっていながらやってしまう」「自分にとって良くないとわかっていてもやってしまう」ということは多々あるのではないでしょうか。金銭に絡むこと、男女関係、お酒、ギャンブル等々…悪いとわかっていても、我々の欲望は足るを知ることなく暴走してしまう。その時心のなかで悪い声がささやきます。「ちょっとくらい大丈夫だろう」。
我々の弱い心を見透かしているお釈迦様はこのようにおっしゃいます。
「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつしたたり落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいに満たされる(『法句経』)
「ちょっとくらい大丈夫」と思っても、その報いはやがて訪れるのです。まさに小さな水滴であっても、長い時間をかければやがて水瓶を満たすようなものです。我々の弱い心からでた行動、たとえそれが小さな悪であったとしても、その報いはやがて自らに降りかかるのです。
自らを律しながらもお念仏をする生活をしたいものです。
合掌
法務部 黒澤崇弘