明顕山 祐天寺

公開日:2024年4月2日  

「憎むとも 憎み返すな 憎まれて 憎み憎みて 果てしなければ」 法務部 玉置大祐

人からひどい扱いをされたならば多くの人は相手を憎み、仕返しをすれば仕返しをされた側も面白くはありません。相手を憎めばその連鎖は果てしなく続いてしまいます。
お釈迦様は私たちが心穏やかに幸せに生きていくためには「忍辱」が大切であると説かれております。忍辱とは、耐え忍ぶことです。どのような侮辱を受けようとも耐え忍んで怒りや見返しの心をおこさず、逆に相手のことをあわれみの心を持ってみるのが本当の忍辱です。
「怒りの蛇を口から出すのは下等の人。歯を食いしばって口から出さないのは中等の人。胸の内で蛇が狂っていても顔に表さないのが上等の人。怒りの蛇を飲み込んで優しい表情と言葉遣いを心掛けなさい」とお説きになりました。
浄土宗を開かれた法然上人のお父様は、闇討ちされた時に負った傷が原因で亡くなっています。
亡くなる前に遺言として「敵を恨んで仇討ちをしていけない。さもなければ恨みが恨みをよんで、争いは何代にも渡って続くであろう。敵を恨むのではなく出家して私の供養をしてくれ」と残されました。当時はやられたらやり返すという時代であり、親の仇を取るのが世の流れであっただろうと思いますが、悔しさを堪えて父の遺言通りに出家をされました。もし、この遺言が無ければ法然上人は出家をしておらず、浄土宗も存在していなかったかもしれません。今年は浄土宗開宗850年という大きな節目を迎えることができましたが、もし幼少期の法然上人が怒りに身を任せて父の仇に執着していたならばこの節目も迎えることはできなかったと思います。
法然上人は「阿弥陀さまの国である極楽浄土に往生したいと願って南無阿弥陀仏とお唱えしたならば必ず極楽浄土に往生できる」という教えを見出してくださいました。この教えが現在まで脈々と受け継がれて850年も私達の心の支えとなっているのも法然上人が怒りに捉われず苦難を乗り越え、並々ならぬ努力をされたおかげでございます。法然上人の恩德を偲ぶとともに自身の極楽往生を願って日々お念仏をお称えいたしましょう。
合掌

«    »
TOP