明顕山 祐天寺

公開日:2024年3月17日  

『見守り 見守られ』

春風にのって、ほのかに花の香りが漂う頃となりました。

4年前の新型コロナウイルスに怯え、人と離れて過ごす日々は懐かしく、人々が寄り添い助け合う日常が少しずつ戻ってきたように感じます。

晴れやかな気持ちで外に出ると、

車内にご高齢の方が乗車されたときや、横断歩道を子供たちが渡るときに、ふと周りの方の視線が集まる様子を目にします。

すぐに声をかけられる方、少し様子を伺っている方、どちらの方も優しさに溢れておられ、必ずしも声をかけずとも‘いつでも手を貸しますよ’という心のこもった見守りに、大変安らかな気持ちになります。

 

私が小学校に入学したころ、乗車予定の各駅停車ではなく急行電車に乗ってしまったことがございました。

学校の駅を通り過ぎる電車。私は窓の外を見ながら泣いておりました。

そんなときに声をかけて、下車駅まで送ってくださった方のおかげで無事に学校へと登校することが出来ました。この話を聞き、「大人なら当然のこと」と、思われますか?

私も大人ならば急いでいても、出勤途中であっても声をかけるだろうと思います。

声をかけてくれた方のことを当時の私は、「セーラームーンのお姉さんが助けてくれた!」と母へ説明していたそうです。

セーラー服で通学中の学生が、自身の遅刻を省みず、名乗りもせずに小学生を助けてくれた出来事でございました。

今でも、この方のような人でありたい。そして、多くの方が差し伸べられた手を掴むことのできる社会であることを願っております。

 

人は、たとえどんなに立派な大人の方であっても、自分を守ってくれた方が必ずやおられます。

代々のご先祖様がもし一人でもかけていたならば、今ここにいることはなかったことでしょう。ご先祖様が守り、繋いでくれたからこそここにいるのです。

しかしながら、「死ぬときは一人」そんな言葉を聞くことがございます。

人生の終わりを迎えるとき、私たちは一人ぼっちなのでしょうか。

今から850年前に浄土宗を開かれた法然上人は、お念仏を唱える私たちがいずれ命を終えるとき阿弥陀様はすぐさま目の前にやってきて下さり、先立たれた大切な方々の待っていて下さる極楽のお浄土へとお導き下さる。その事に間違えはないのだとお示し下さいました。

 

子供も、大人も、どんな方であっても阿弥陀様や、ご先祖様、先立たれた大切な方々は必ずや私たちの事を見守って下さっております。

嬉しいときには一緒になってお喜び下さり、いつも心配をかけて下さっております。

辛いとき、悲しいときには深く寄り添い慈しみ、悲しまれ、より一層私たちをお見守り下さいます。

心安らかになるお見守りに安心をしていただき、

春光うららかなこの季節に、あたたかなお気持ちでお念仏をお唱えし、阿弥陀様、ご先祖様、周りの様々な方々に見守られながら、今という時を一生懸命にお過ごし頂きたいと思うところでございます。

合掌

法務部 渡邉雨琉


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