明顕山 祐天寺

公開日:2024年3月6日  

 「自己の計らいを捨てる」
19 世紀イギリスの評論家、ジョン・ラスキンさんの詩に『雲』というものがあります。

★『雲』
世の人々はよく今日は良い天気だとか
悪い天気だとかいうが
みな良い天気ばかりである
天気には良いも悪いもない
ただ種類が違うだけである
晴れは晴れの良い天気
雨は雨の良い天気
風は風の良い天気
その違いだけである

■私にとって良い天気
以前、ある天気予報士の方が、まだ新人だったころの話を聞きました。
その日は「晴れ」の予報でしたので、その方はテレビの天気予報で「本日は全国的に良い天気です」と言ったそうです。
そして、放送が終了し控室へ戻ったところで、年配の天気予報士の方と、以下の様なやり取りがあったとのことです。

年配:「あなたは先ほど、本日は良い天気と言いましたが、それは本当ですか?」
新人:「はい。今日の予報は日本の端から端まで晴れマークでしたので、良い天気です」
年配:「では、たとえば今日、畑の農作物に水が足りず、なんとか雨が降ってほしい、と思っている人がいたとしたらどうだろう。世の中の人々は色々な状況にいる。何かしらの理由
で、雨が降ってほしい、、、曇ってほしい、、、と願っている人たちがいるかもしれない。
その人たちにとって晴れ=良い天気ではないのではないだろうか。それでも、もし、あな
たが、今後も良い天気という言葉を使いたいのであれば、良い天気の前に「私にとって」
という言葉を付け加えるといいでしょう。」

若い天気予報士は、この言葉に「ハッ‼」としたそうです。そして、それ以降の放送では 「良い天気」という言葉を使わなくなったとのことです。

▲私たちの考えの中心にあるもの
人は皆、何かを考えるとき、それまでの自分の経験や知識から、つい自己を中心に物事を捉えてしまう癖があるものだと思っています。
上に記した天気予報士さんの話のように、晴れが良い天気なのか、そうではないのか、という程度のことであれば、それほど問題になることはないと私は思います。
しかし、自己中心的な考えが進むと、他を顧みず、他の言葉に耳を貸さず、自分の考えのみで行動する人になってしまいます。
その結果、他人との衝突を繰り返したり、思い通りにならないことに憤りを感じたりしながら、人生を過ごしていくことになるのです。
つまり、この誰もが抱える自己中心的な考えから、苦しみが生まれているということになります。

◆信仰のあるべき姿
今から、ちょうど 850 年前に法然上人は、お念仏のみ教えをもって、浄土宗をお開きになりました。浄土宗開宗に至る法然上人のご苦労は並大抵のものではありませんでしたが、そのみ教えは単純明快であります。
・西方極楽浄土への往生を願い
・阿弥陀さまに救いを求め
・阿弥陀さまが本願として定められた称名念仏を修する
この様に、法然上人は「ただ南無阿弥陀仏とお念仏をお称えしなさい。そうすれば、私もあなたも必ず阿弥陀さまのお救いに預かることができ、西方極楽浄土へ生まれさせていただくことが叶うのです」とお示しくださっているわけです。

前述しました通り、私どもは兎角、物事を自己中心的に受け止めてしまいがちなものであります。しかし、このお念仏のみ教えは、阿弥陀さまご自身が、あらゆる修行の中から定められ、併せてお釈迦さまや諸仏により選ばれた、疑う余地のないものであると法然上人は仰っています。自己の計らいを捨て、この法然上人のお言葉を素直に信じ、お念仏をお称えすること。
これが浄土宗の信仰のあるべき姿でありましょう。 合掌

法務部 日向哲空


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