明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート1

祐天寺の開創(一)

祐天上人生き写しの御影

祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

享保3年(1718)7月15日、麻布龍土の禅室において祐天上人遷化につき、上人に随従する弟子祐海は、ただちに仏師竹崎石見を禅室に呼び寄せ、その真骸を模させ木彫の上人尊像を造らせました。しかし、その像は造り改めること十余たびに及んだものの、上人82歳のお顔にはいまだ肖てはいませんでした。石見は、この2尺3寸の上人の座像が、すでに5代将軍綱吉の養女松姫の寄進になるだけに、無力と焦りを覚える中で、しだいに萎えゆく気持ちを奮い立たせ、改めて潔斎沐浴して身も心も清め直すと、己が持てる技のすべてを傾注し、多日にわたる苦心の末、同4年正月12日、初めて上人生き写しの御影を彫り上げることができました。

この像の腹内には、ことごとく金箔を施し、箔の上にはやがて祐天寺起立となる祐海自筆の六字の名号、並びに師の檀通和尚と両親の名を記し、さらに上人がかつて認めた請願文を納めました。

像は、仮の白木の厨子に収められ、同正月15日、上人が遷化した麻布龍土の禅室に運ばれ、開眼供養のため縁山増上寺第38代演譽大僧正と役者円龍和尚、加えて法類一同がいずれも皆龍土に集会して、法会は執行されました。

享保4年2月17日、上人の御影は舎利そして舌根とともに龍土から祐天寺に移され、仮本堂に安置されて、開山上人の入山式が挙行されました。

同6月3日、新本堂が落慶、上人の御影は堂の中央に祀られました。
同10月11日、綱吉の養女竹姫は、本堂に祀られた上人の御影を永劫に守るために、緋牡丹で装飾した宮殿を寄進し、像は白木の厨子からこの宮殿に納められました。

こうして、上人の御影は松姫と竹姫の寄進によって、本堂に安置されることとなったのです。

後年、祐天寺第6世祐全は、この御影の万一の用意として、寛政8年(1769)9月6日、上人の尊像もう1体を石見に命じて造らせ、翌年4月7日に像は完成し、8日の開山誕生日に祐全自身が開眼したのでした。この像の腹内には、六字の名号2千余幅が記され、7月7日、浅草幡隨院第31世観善和尚をはじめ、法類一同を請待して、心を込めてこの尊像の開眼法要を奉修しました。
祐全が長年意願のこの1体を彫像するにおいて、次の言い伝えがあります。

ある日、府中の六所明神に参拝した祐全は、その境内に聳えていたという千有余年の古木を得て、かねての志願を果たそうと、その古木を石
見に委ね、上人のもう1体の尊像を刻み上げたという。

上人の御影の施主松姫は、享保3年7月15日、上人が遷化の訃報を聞き、胸の裂ける思いで、御影の寄進を祐海に申し出ました。祐海は、伯父でも師でもある上人の御影を、ぜひにも自分の手で造像したい旨を松姫に伝えました。しかし、松姫の再三の申し入れによるたっての懇望に、祐海はその願いを聞き入れました。
松姫は、真心こもる祐海からの許諾の文を、大奥と祐天寺との連絡係の可年から受け取ると、込み上げる涙をこらえつつ、可年に、御影造立の金子など委細を書き留めた返書を持たせ、祐海に届けたのでした。

上人の臨終の真影はまた、絵像として増上寺第32代了也大僧正の弟子了月により、享保3年7月16日に写され、祐海が開眼しています。

さらに、上人が生前の現在真影も、やはり了月が上人80歳のときのその尊顔を写し、上人が胸中に六字の名号を書き、自ら開眼されています。
右の2幅は、文政13年(1830)、祐天寺第10世祐麟が修補し裏打ちしています。

また、上人の真影は、上人が増上寺第36代法主であった正徳2年(1712)、6代将軍家宣の葬儀の導師を勤められたその翌年、京都の仏工七條佐京がこれを造りました。この像は上人77歳の肖像で、上人が開眼し、のち増上寺開山堂に安置されました。

天明7年(1787)7月12日、祐全そして深川霊巖寺第19世祐水和尚そのほか法類弟子らが、上人への報恩としてこの像を修補し、ご腹内に祐全がその年紀並びに六字の名号を書き入れました。

上人の最初の模刻は、正徳2年の冬、東都の石見が造像し、「誠の御影」と称されました。寛政5年(1793)7月5日、祐天寺起立祐海の弟子祐水が、11代将軍家斉の命を受けて京都百萬遍知恩寺へ、第54世として深川霊巖寺から移転住職のとき、京都ご化益のためこの像を護持し、この知恩寺に安置しました。以来、毎月の15日に寺の御影堂(大師堂)へ祀って、百萬遍念仏を奉修するごとに、その念仏会に参集した人々に六字の名号を記した護符を施与し、あまねく四方の群生を化導しました。そののち、この真影は、境内の阿弥陀堂(安楽院)内の脇段へ奉安されました。

祐天寺の本尊すなわち開山祐天上人生き写しの御影は、毎年正月3か日、5月15日の開山忌、7月1日の大施餓鬼会、10月15日の十夜会に、それぞれご開帳されます。

祐天ファミリー5号(H8-2-15)掲載

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