明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート5

祐天寺の開創(五)

平井の聖天さまと祐天上人

祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

上人は、本所牛島に隠棲した貞享三年(1686)から元禄十二年(1699)までの約十三年間に、いくどとなく平井の聖天さま(江戸川区平井3丁目1990番地)へ出かけられたといわれています。
当時、本所牛島から聖天さまへ行くには、平井道を通るのが一般的なコースでした。

平井道は『江戸川区史』によりますと、「浅草方面から小梅堤(墨田区押上1丁目)を通り、請地村(同区文花2丁目)を経て、葛西川村(同区立花3丁目)に通ずる」とあり、また「江戸初期には、中ノ郷村(同区業平1丁目)から小村井村に通じていたようであるが、それが後に小梅堤まわりに変わったものである」と述べています。

本所牛島の南本所荒井町(同区東駒形2丁目9、10番地)の、町屋のどこか一室を庵室にしていた上人は、聖天さまへ行くとき、おそらく江戸初期に使われていた路を歩いたと思われます。

小村井村の『香取神社社誌』を見ますと、上人は聖天さまへ参詣の際には、「よく境橋を渡った」という、村の古老の話を載せています。境橋は、今の江東区亀戸3丁目と墨田区文花1、2丁目のところに架かる橋ですが、この橋の下を流れる北十間川で、元禄の頃(1688~1699)に、しばしば悲しいできごとが起き、お堂が建てられました。お堂は祐天堂といい、現在も、祐天寺の寺紋「五鐶の一」を屋根の棟につけた、高さ約1メートル、奥行約1.5メートルのお堂が、夾竹桃の茂みに包まれるように建っています。

このお堂は、墨田区立吾嬬小学校1992年度六年生四人がまとめた小冊子「祐天堂」によると、「上人が平井の聖天さまへ何度か行くうち、この北十間川に子どもが落ちて死んだり、若い男女が身を投げて心中したりしたので、上人はその菩提を弔うために、石に六字名号を書き、橋のたもとに供えると、それからは、そのようなこともなくなり、村人は喜んで、お堂を建ててその名号を祀りました。それが祐天堂の始まりで、お堂は、だいたい享保七年(1722)頃に、初めて建てられ、戦災後、現在のお堂が再建された」という。

聖天さまへ至る上人の路順を想定しますと、まず、南本所荒井町を発って業平橋を渡り、そこから中ノ郷そして押上村を北十間川ぞいに歩き、さらに境町(江東区亀戸3丁目)の境橋を渡って小村井村まで行き、つぎに葛西川村の中川(旧中川)に出て、その川の渡し船で葛飾郡の下平井村(江戸川区平井6丁目)に入り、渡し場(同区6丁目1番地4号)からまっすぐに延びる、細い船宿路を進み、千葉街道と結ぶ行徳道を少し歩いて、すぐに北に折れ、聖天さまに達したようです。

上人から「宝塔名号」を授かった田口源右衛門の家は、この平井の渡し(中川の渡し)の堤に建つ、第一番目の花表をくぐった、すぐ左側にありました。文化十一年(1814)~文政十二年(1829)に著された、十方庵敬順『遊歴雑記』初編中五十一の文と、同じく文政十二年頃に成った、村尾正靖『嘉陵紀行』第二編の「平井聖天境内図」に、源右衛門の人物像と居宅の位置を知ることができます。

行徳の東浜の高谷村(千葉県市川市高谷2丁目6番地4号)の了極寺へも、上人は足をのばされたようです。聖天さまの門前から、成田に向かう千葉街道へつづく道が、行徳道と称されました。了極寺には、上人真筆の塔婆が納められています。
文政十二年の自序のある、斉藤長秋『江戸名所図絵』巻之七に、「当寺に、大僧正祐天和尚真筆の塔婆あり。〔割註〕奇特ありとて諸人渇仰す」と伝えるのがそれです。

了極寺は、『蓮門精舎旧詞』(乾)第二十一冊に、「山号は海中山。開山は廓天上人。開山の生国は大和(奈良県)で、氏姓は岩間。阿波之介の末孫といい、法然上人が阿波之介に真筆の<鏡の御影>を授けたので、代々これを伝持し、今日に至る」とあります。

祐天寺の日記『明顕山寺録撮要』に、円光大師法然の「一枚起請文」をよくよく熟読玩味して受持すべき旨の、上人の言葉が見えています。上人がいかに宗祖法然を慕い、偏に依りどころとしていたかが分かります。

かような上人であったればこそ、宗祖が自ら描いた<鏡の御影>があると聞けば、当然のごとくに、上人の足は聖天さまから了極寺へ、向かわないわけはなかったでありましょう。

聖天さまは、平安時代に真言僧元暁法印が平井の地を巡錫され、松の根元から歓喜天の出現する霊夢を感得し、その世にも希有なる歓喜天を祀って一宇としたのが、聖天さまの始まり、といわれています。

上人が聖天さまにお参りしたことは、かつて平井の渡し場ちかくで、江戸時代から大正時代まで、幾代も船宿をしていた、その子孫から聞くことができました。

夫婦和合や子授けの神として今なお厚く信仰される聖天さまへ、上人は何を祈ったのでありましょう。聖天さまと上人をつなぐ、何かがあるのかもしれません。

祐天ファミリー第11号(H9-4-15)掲載

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