明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート14

祐天寺精史(九)

寺号を祐天寺と唱える

 祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

享保4年(1719)2月3日、増上寺で役者円龍和尚が祐海に告げました。
「昨日、寺社奉行土井伊豫守殿へ参上のところ、役人魚住吉兵衛が対応、『善久院の寺号いかがいたしたか』と尋ねたので、『過日、伊豫守殿へ、祐天寺としたき旨を申し上げた』と答えれば、『右の趣、伊豫守へ申し入れ置かれしとも、伊豫守1人の判断にては決定しがたし。ご同役の寺社奉行衆へも相談いたすこととなろう。この願いの儀は、善久院の祐海がその旨を願書に認め、寺社奉行御月番の酒井修理太夫殿へ直に持参せよ』との返答である」
祐海は即刻、その場で願書を次のように記しました。

恐れながら書付をもって
願い奉り候こと


下目黒村善久院の旧知において、去年中、祐天大僧正の廟所ならびに常念仏堂建立のご許可をたまわりました。しかしこれまで、善久院には寺号ござなく候間、此度、祐天寺善久院と寺号を付けたく願い奉ります。
いずれの寺にも、寺号院号はございます。右のとおりに唱えることをお免しくださいますよう、願い上げます。しかしながら、善久院を相い改めて祐天寺と唱え申す訳ではございません。何卒、右の趣よろしくお聞き届けられ、お免し成しくだされますれば、ありがたく存じ奉り候。
下目黒村
享保四年二月   善久院
寺社
御 奉 行 所

祐海は、上の願書を御月番修理太夫殿へ持参しました。
役人望月平右衛門が応対し、
「願書の文言、祐天寺と寺号を付くるは容易なれど、この寺号は新しき名ゆえ、何人も善久院とは唱えずに、祐天寺と唱えるであろう。寺号願いならば、ほかに何とか付け方もあるはず。しかも祐天寺なる寺号は、世上、隠れもなき祐天大僧正のお名であり、これにては新寺のように聞こえてならぬ。よって、修理太夫には上申しがたし」
平右衛門はこう言い、願書を祐海に差し戻しました。祐海は、祐天寺と命名したい理由を平右衛門に陳述しましたが、平右衛門は得心がいかず、
「早急に寺号を付け替え、更めて相い願うべし」
と、祐海の望みを受け付けませんでした。
「しかれば、本日はこれにて帰り、寺号の件を増上寺の役者随澄和尚、円龍和尚など4人に相談をいたすが、拙僧、祐天寺と名付くる以外、いかなる考えもございません」

祐海はかように平右衛門に申し置き、増上寺に向かいました。
寺号の名称につき、増上寺の役者4人に申し上げると、
「それほどまでにかないがたき筋なれば、祐天寺なる寺号を明顕寺と直し、再度、寺号願いを修理太夫殿に出されてはいかがか」
役者衆が提言すると、
「いやいや、祐天寺といたす」
と、祐海は役者衆の言葉を遮りました。
祐天大僧正の遺跡を起立するにあたって、寺号は師の名を取って祐天寺としなければならないという、その心願を祐海が強固に持ち続けていたからこそ、その思いを1歩も譲ることなく、増上寺の役者衆に自己の所念を打ち明けて帰院したのです。

同月5日、祐海は寺社奉行松平対馬守殿と伊豫守殿に参上して、
「拙僧、心底の願いは、祐天大僧正の廟所を平日、誰にても祐天寺と唱えさせたき旨を、修理太夫殿の役人平右衛門に申し伝えたのでございますが、某は平右衛門とはいっこうに馴染みなきため、ただ今、その言辞を再び申し述べるべきか否かを差し扣えておる次第にございます。何ぶんにも願いのとおり、祐天寺と寺号を唱えることを、お免しくださいますよう、ひと重に願い上げ奉ります」
と嘆願しました。

そして祐海は、それより修理太夫殿へ参上し、応対の平右衛門へ、
「寺号の儀、いろいろ了簡いたしたが、やはり祐天寺と唱えたく存じ候。何卒、寺社奉行修理太夫殿に、この願いをお取り上げくださいますこと、言上のほどを切にお頼みいたす」
と言えば、
「その段、修理太夫に上申するが、かくまでに祐天寺と唱えたき事理を具さに申せ」
この問いに祐海は、
「祐天大僧正の遺言をもって遺跡を建立いたすからには、是が非にもその遺跡を祐天寺と唱えたき存念にござる。昨年中、引き寺願いの節、寺号の儀も伊豫守殿に申し上げましたが、『引き寺の儀、罷り成らぬ。善久院にそのまま廟所と常念仏堂を取り立てよ。また、寺号のこと、成りがたし』と、公方さまの仰せが書状にて伊豫守殿より某に達せられた。されど、此度の拙僧の寺号願いにつきては、某の生涯かけての宿望にござる。この願いを修理太夫殿にお汲み上げくださいますよう、念じて息みませぬ」
と、平右衛門に訴えました。平右衛門は祐海の心に打たれ、願書を預かりました。祐海は、寺号認否の沙汰を待つべく、善久院に帰りました。

同月10日四時、平右衛門から次のような文面で知らせがありました。

先日預かった願書を、修理太夫が懐中に入れて登城した。
なお、願書が他にも入用とのこと、前文のままにひと言も違えずに、
数通、早速に認めて使者に渡されたし。

祐海は、書き上げた願書に手紙を添えて、それを使者に託しました。 (つづく)

祐天ファミリー25号(H12-2-15)掲載

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