明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート19

祐天寺精史(十四)

月光院さまの落飾(その1)

祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

享保6年(1721)3月14日夕七半時、寺社奉行御月番である牧野因幡守殿から祐海へ、御用の儀であるゆえ直ちに当奉行役宅へ来るよう呼状が届きました。

即刻、祐海が祐天寺善久院を発って夜の五半時に八町堀南茅場町北側の因幡守殿の役宅へ着くと、因幡守殿は奥の部屋で祐海に会い、次の文言を記した書付を読み上げました。
「右、来る21日、月光院さま御用にて吹上へ召させらるべく候間、参上仕るべ候」

そして、因幡守殿はそれを祐海に渡すと、
「好ましき御用である。さぞ、ありがたく存ぜられよう」
と、祐海に讃辞を贈りました。
「御用の筋は伺いがたく候へども、上意の段、言語に絶します。ありがたく存じ奉ります」

祐海はこう因幡守殿に謝辞を申し上げて役宅をあとにし、その夜は深更に及んだので、そのまま永町の森田次郎兵衛方に止宿しました。翌15日、老中と若年寄と他の寺社奉行方へ、昨日、上意を賜った旨のお礼回りをしました。

18日、祐天寺善久院に次郎兵衛が来寺し、21日に吹上御殿の月光院さまのもとに上る祐海へ、その祝儀として護念経(阿弥陀経)1千部の読誦を施捨しました。祐海はそれを受けて同日四時、本堂本尊である祐天大僧正の尊像の前で、護念経1千部読誦を開始し、20日四時までにその読誦を終えました。読誦しつつ祐海は、このたびの御用が無事に済むことを念じ、祈願回向しました。

20日、吹上御殿の御用人安藤志摩守殿から祐海へ、次のような文面で手紙がありました。

「吹上御殿へお上り成され候よう、寺社奉行より仰せ渡されたかと存ずる。明21日の四半時、御殿へお上りくださいと、御老女衆が申され候。右の刻限にお上り成さるべく候。その節、御用の趣、月光院さまより御意を得べく候」

21日は朝から快晴でした。明六時、祐海は駕籠に乗り江戸城内の吹上御殿へ向かいました。20日に志摩守殿から手紙で知らされた刻限四半時ちょうどに登城し、西丸大手門を通ってその西側の吹上御殿の矢来門まで行き、そこで下乗しようとしました。
すると、案内の侍が来て、
「お玄関ご門前までと月光院さまが仰せられております」
と、その侍から告げられたので、祐海は駕籠を玄関の門まで進め下乗しました。

玄関には御用人志摩守殿初め御詰衆と御女中方が出迎えられ、その方々の求めに応じて十念を授けました。

御老女方と志摩守殿の案内で、祐海が休息所に入ると、
「昨日の大雨に変わり、今日はかように晴れて、月光院さまにも一入ご満悦」
との由を、祐海は御老女方から伝えられました。

そのあと、茶と湯漬の食事が祐海に出され、しばらくして御留守居松前伊豆守殿が来られて祐海にあいさつが済むと、御老女方と伊豆守殿ならびに志摩守殿そして表使衆の案内で、月光院さまの部屋に続く御錠口の間まで行き、そこに一同は着坐しました。祐海は九条袈裟を付け、手に念珠を持っていました。この九条袈裟は、祐海が前月2月17日に文昭院殿(家宣公)の金入り裏地付きの能の装束衣5枚を、袈裟に仕立てて着用するようにと、月光院さまから拝領したものを用いてこしらえたのです。祐海から1間ほど隔てて、左に伊豆守殿と志摩守殿、その次に御番頭と医師衆が着坐していました。

まもなくして、祐海を御錠口の間まで案内して来た御老女方が、祐海を月光院さまの部屋に導きました。

月光院さまは部屋の上段の褥の上に、緋の袴を召され着坐しておられました。祐海は下段に罷り出て、献上物を前に置くと、御老女の1人が月光院さまにその献上物の名をゆったりと唱えて披露申し上げました。月光院さまは祐海にお声を掛けられ、上段に祐海を招いてお手自ら昆布を下さいました。

祐海は昆布を頂戴して、下段に身を引き着坐しました。そのとき、月光院さまも下段に下りられ、祐海から畳1枚ほど離れたところに坐られ、祐海に十念を所望されたのです。祐海は合掌して念珠を両手の拇指と人差指の間に掛け、十念を授与申し上げました。その場で月光院さまはしばしの間、祐海とお話をされ、やがて奥部屋に入られました。

そののち、祐海は御老女の案内で仏間に入り、剃髪の規則どおりの準備を御老女方に指図し、仏殿上段の阿弥陀如来の前と、下段の褥の上にも座具を敷かせ、祐天大僧正80歳の御影を仏殿の右側に掛け、そのほか荘厳具などの並べ方を教えてから、休息所に下がりました。

午の上刻、月光院さまのご落飾につき、祐海は先頃、月光院さまからいただいた文昭院殿の能の装束衣でこしらえた金襴の七条袈裟を身に付けて、御老女方の案内ですでに剃髪式の準備が整えられた仏間に通されました。

祐海が仏間に入ると、白衣を召して下段に坐しておられた月光院さまは、まずその位置で仏殿の阿弥陀如来に三礼され、次に上段の座具の上に坐し、次に立ってご焼香と三拝を済ませました。そのとき、祐海が剃刀を取り、常式どおりに作法を進めていきました。次いで、月光院さまが下段の褥の座具の上に坐されると、祐海は次の間に入って袈裟を五条に付け替え、再び仏間に戻り、厳粛な面持ちで月光院さまの落飾をしました。

落飾された月光院さまへのあいさつは御老女の本隆院殿、教安院殿と月光院さまの侍尼である智雲尼の3人だけで、そのほかの御老女方は許されませんでした。

月光院さまは落飾のあと、小袖と法衣に召し替えられ、上段の座具の上に着坐されました。祐海は再び次の間で七条袈裟に付け替え、念珠を手にして仏間に入り、上段の座具に坐すと、月光院さまが仏教の戒律を守るのを誓い、仏教徒となることを示す三帰戒と日課念仏などを授与しました。

この規式が済むと、月光院さまは仏殿の阿弥陀如来の前で三拝され、次に祐天大僧正の御影に向かって三拝されました。

祐海が月光院さまに、先年、祐天大僧正に月光院さまがご落飾を請われた旨のことを申し上げると、月光院さまは祐海に向かって三拝されたので、祐海は発願開白の文を中音で称え、自らの耳に聞こえる声の高さで、月光院さまに念仏回向を差し上げ、次に説法の次第に移ったのでした。(つづく)

祐天ファミリー31号(H13-4-15)掲載

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