明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート20

祐天寺精史(十四)

月光院さまの落飾(その2)

祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

 享保6年3月21日、月光院さまの落飾につき江戸城内吹上御殿へ参上して、月光院さまの仏間において落飾の規式と説法を終えた祐海は、仏間を退いて月光院さまの居間である部屋へ戻り、下段に扣えていました。すると月光院さまも部屋へ戻られ、下段の祐海と同席してしばらくお話をされ、それから奥部屋に入られました。

祐海は月光院さまの部屋を下がり、御錠口之間へ出て御留守居の松前伊豆守殿ならびに御用人である安藤志摩守殿と少しく対話していると、そこへ御老女方が来られ、再び月光院さまの部屋へ祐海を案内しました。月光院さまが祐海に別れの言葉を告げるため、部屋で待たせるよう御老女方に命じられたのでした。

部屋の下段で祐海は扣えていました。やがて月光院さまが姿を現され、上段の褥の上に着坐されました。そのとき、御老女の1人が目録を両手でしかと持ちながら部屋に入ると、祐海の傍まで進み出てそれを祐海へ手渡しました。続いて月光院さまが祐海を上段に召され、御手自ら念珠と目録を下されたので、祐海はその念珠と目録をいただき下段に退きました。このとき、月光院さまも下段に身を移して平坐され、重ねて祐海に十念を求められました。祐海は心ゆるやかに十念を授与申し上げました。
月光院さまは十念を受けてから、

「年来の願望、今日、思いどおりにかなえることができました。お天気も良く、何のお障りもあらせられず、するすると済ますことができましたこと、とてもうれしう存じます」
と、祐海に心温まるお声を掛けられました。

祐海は月光院さまにお暇のあいさつをして部屋をあとにし、御老女方の先導で御錠口之間へ出て、そこに待機していた御留守居の松前伊豆守殿、御用人安藤志摩守殿、御番頭、御医師衆らに前後を守られ、廊下を進んで休息所へ入りました。その折、御老女方はじめ松前伊豆守殿、安藤志摩守殿、御番頭、御医師衆が皆祐海に十念を所望されたので、祐海はその一方一方に十念を授与しました。

休息所には座席が設けられており、祐海が上席中央に着坐すると、
「今日の首尾、御滞りなく済ませられ、誠にめでたく存じ奉りまする」
と松前伊豆守殿ほか一同のあいさつがあり、それが終わるやいなや、言語を絶するほどの饗応が小役人によって休息所に運ばれ、祐海の前に並べられました。それは、3汁11菜の本膳料理、白木の膳に盛り付けた御段(別料理)、浮麩(小団子入り料理)、それに茶と菓子など、数々の豪華な調理だったからです。

食事のひと時を過ごし、帰寺のため祐海が席を立つと、御老女方と松前伊豆守殿が玄関まで見送られ、その場で祐海に十念を請いました。祐海は請われるままに十念を授与すると、安藤志摩守殿と御番頭、そして御詰衆が祐海を御式台まで送り、一同も十念を望まれたので、祐海は十念を授けてから、玄関の前で乗輿しました。時刻は夕七時(午後4時)過ぎでした。

祐海が吹上御殿を退出して下城したのち、御老中井上河内守殿、水野和泉守殿、若年寄大久保佐渡守殿、寺社奉行である酒井修理太夫殿、松前対馬守殿、牧野因幡守殿が、増上寺の所化役者円龍和尚のもとへ、今日の落飾の手続きをしてくれた御礼の品を、使者に届けさせました。

祐海が祐天寺に帰着したのは、夜四時(午後10時)でした。
下城のとき、晩景に及んだことで、吹上御殿から葵紋付きの提灯4張が祐海に手渡されました。祐海は翌日、御老中方や若年寄衆それに寺社奉行衆へ、このたび吹上御殿へ上がるのに、その力添えをしていただいたお礼回りにあたって、この提灯を用いたのでした。

祐海が吹上御殿の休息所で饗応された折、祐海の伴僧として参殿した檀的、祐円、祐益、海応には、それぞれ湯漬飯付きの1汁5菜と2汁9菜の料理、さらに蒸菓子、後段が出されました。給仕の役人は福地平左衛門殿でした。食後に落飾の祝儀として、檀的と祐円に銀3枚ずつ、祐益と海応に銀2枚ずつの拝領物がありました。

月光院さまの部屋で御老女が祐海に手渡した目録は、本丸表向からの目録で、その条目には、
銀子  拾枚
色縮緬 五巻
昆布  壱箱
と記され、目録は大鷹檀紙2枚重ねの竪目録で、その上包紙1枚に、
月光院様より  祐天寺江
と上書されていました。

また、祐海が月光院さまからいただいた目録には、
鈍子 五巻
桧重 壱組
とあり、やはり目録は大鷹檀紙2枚重ねの竪目録で、その上包紙1枚に、
月光院様   祐天寺江
と上書されていました。

右の品々は、葵紋の付いた黒塗の長持1棹に入れて朱印が押され、御小人両人が担ぎ手を従えて祐天寺に届けたのです。この長持にはそのほか、手水盥1面、湯次1つ、手拭懸1本が添えられ、この3品はいずれも金の梨地に椿の蒔絵が施された調度品で、それぞれ浅黄羽二重の袱紗に包まれ、ことに銀製の手拭懸は桐の箱に収められていました。

月光院さま落飾の髪の毛は、桐の白木の箱2つに収められ、さらに金襴の褥1枚、晒の浴衣1枚と上帯、手拭3本は目録に結び付けて、同じ長持に入れられていました。この長持を運んでくれた宰領である御小人両人には、祐海から金100疋ずつ、担ぎ手には青銅1貫文をそれぞれ遣わしました。

同日22日、祐海が吹上御殿へ上がり、昨日、月光院さまの落飾を規式どおりに済ますことができ、また、身に余る饗応をたまわったことへの恐悦(感謝)と、拝領物に対する御礼を月光院さまに申し上げ、御老女方に送られて玄関まで出ると、御老女方が、
「月光院さまには、御願望の御落飾を済ませられ、とてもご満足のご様子」
と、祐海に謝辞を贈りました。

4月7日、吹上御殿の御老女である園田さまと表使の浜岡殿が祐天寺に参詣され、21日の落飾が滞りなく満了を迎えられた旨のあいさつがあり、月光院さまからの届け物を祐海に下さいました。

5月朔日、吹上御殿から葵紋付きの絹地に花色の小さな葵紋を配した、油単の布を掛けた黒塗の長持2棹が祐天寺に届けられました。その中には、21日に祐海が吹上御殿に参上した際、休息所で饗応として受けた本膳料理で用いた椀10人前、皿2枚ないし3枚、猪口1つ、手塩皿1枚、盃1つ、銚子2本、食次1つ、湯次2つ、ほかに白木の膳具1式、この膳で出された皿2枚ないし3枚、また、授戒のときに月光院さまが使われた、赤地金襴の座具1枚を祐海はいただきました。この膳具はすべて祐天寺の什物にしてくださいと、月光院さまの思し召しの由にていただいた品々です。そればかりか、白銀3枚が祐天寺開山である祐天大僧正の御影前へお供えくださいとの、月光院さまからの文を添えてこの金子をいただきました。

同月8日、祐海は吹上御殿へ参上し、4月7日に月光院さまの代参として祐天寺に参詣された、園田さまと浜岡殿にその御礼などを相い兼ねて、御老女方の案内で月光院さまの部屋に通されると、祐海は持参した小五条2衣の上に念珠2連を重ね、それを両方の掌で捧げて月光院さまに差し上げ、しばらく閑談されたのち、帰寺したのでした。

祐天ファミリー32号(H13-6-20)掲載

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