明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート22

祐天寺精史(十七)

開山御廟造立(1)

 祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

 享保8年(1723)4月12日、祐海は増上寺へ参上して、帳場の義潭和尚に出会い、祐天寺開山である祐天大僧正の廟所を、本堂の東北にある寄進地続きの抱畠の内に造立したい旨の願いを申し入れました。この抱畠内に廟所造立の希望については、過日すでに祐海が寺社御奉行土井伊豫守殿へ願い出ていたのですが、この抱畠は地頭である増上寺の承諾も必要との伊豫守殿からの指図もあったことから、祐海はこの日、増上寺に出向いたのでした。
祐天大僧正の廟所造立というこの尊儀は、義潭和尚からすぐに役者衆へ伝えられました。そして当4月の寺務を勤めるいわゆる輪番である塔頭観智院の住持弁栄和尚へ、祐海が自らその願書を提出せよとの役者衆の指示を受けて、祐海は願書を弁栄和尚へ提出しました。その覚は次のような文面でした。


一、顕誉大僧正の廟所を本堂後方  へ建て置き申すべく心懸け候ところ、右の場所は御成ご用御道筋に罷り成り候について、境外東の方にこれある寄進地続きの内へ、廟所を取り建て申したく願い奉り候、已上、
四月十二日   祐天寺
観智院

廟所造立について、祐海がさらに弁栄和尚に委細を申し述べると、
「顕誉さまの御儀は、何分にもよろしく相い計り候よう仕るべく候。さりながら、公方さま(吉宗公)御鷹野御成における差し障りの有無については、こちらより御鳥見衆へ問い合わせ申すべく候」

弁栄が祐海に答えました。
祐海は翌13日、御鳥見衆の高月忠右衛門殿に会い、増上寺から廟所造立の件についてお尋ねがあった場合、その件はしかと了解済みであると返答してくださるよう頼み込みました。
忠右衛門殿は祐海が提出した、絵図を書き入れた廟所造立の願書を一見すると、
「前方、見分もいたし候えども、お寺の儀に候えば、御鳥見衆の同役ともども善久院祐天寺に同道して、今一度その場所を見分いたし置き候て、増上寺よりその場所への廟所造立の許可を速やかに通達させる」
と祐海に言い渡しました。

翌14日、御鳥見衆高月忠右衛門殿を含む3人がそろって廟所造立予定地を見分しました。その結果、廟所造立予定地は、公方さま御成にあたって差し障りはないとのことでした。

同19日、弁栄和尚から祐海へ手紙が届きました。
「来たる20日、御廟所造立場所の見分として、別院清光院の住持然知和尚と同寺寺侍芳賀庄兵衛が善久院祐天寺へ罷り越すゆえ、さようにお心得くだされ」。

同20日、下目黒の名主元右衛門と中目黒の名主与右衛門が善久院祐天寺に来寺し、
「今日、御輪番衆の観智院弁栄和尚、清光院然知和尚、それに芳賀庄兵衛の3方が当寺へお出なので、私どもも罷り出でるよう、昨日、御輪番所より仰せ付けられ候」
と祐海に申し上げました。
四時、弁栄和尚はじめ然知和尚と芳賀庄兵衛が入来しました。祐海は3人が廟所予定地の見分を済ますのを見図らい、先日、祐海が御鳥見衆の高月忠右衛門殿へ内見させたものと同一の、廟所予定地の絵図を祐海は3方に示しました。

同21日、増上寺の学寮孤雲室の檀的から祐海宛てに、次の伝言がありました。
「先刻、弁栄和尚よりお呼びがあり、すぐに罷り越し候ところ、かねて御廟所の儀、お願い成され候について、一刻も早く相い済み候ようにと存じ、ただ今、増上寺役所へ罷り出で相い伺い居り候。役者中の申され候は、『軽き者の墓所に候はば、構いこれなきに候えども、御当山御一代さまの御廟所取り建ての儀ゆえ、御方丈へもご披露のうえ、寺社御奉行所へも相い伺い申さず候ては、後日、かれこれなど出来候ては、相い済まざる旨』申され候間、祐海和尚が明日にも増上寺へお出でくださるように」

翌22日、祐海は口上書を持って増上寺へ赴き、それを義潭和尚へ届け出ました。その内容は次のような長文でした。

口上覚
一、去る亥年、愚寺境内狭く、廟所の場所これなき候について、持添地の願書を寺社御月番土井伊豫守殿へ申し上げ候。伊豫守殿はこの願書をお取り上げのうえ、この節、相い障る筋これあり候間、先ず延引いたし、追ってのことに仕り候ようにと、願書をお返し遊ばされ候。その後、ときどき相い伺い候ところ、右の通りにござ候。然るに去る子年11月、伊豫守殿が碑文谷筋へお出での節、御腰懸のお場所ご見分のうえ、すでに公方さま、御小休所を愚寺へ相い定められし候間、境内廻り寄進地の内へ御道筋を新たに出来され、いよいよ、廟所取り建て難き儀に仕り候。その節、御小納戸衆へ申し上げ候へば、何方へ成るとも、御廟所取り建ての目印を立て置き候ように仰せられ候。もっとも、ただ今相い願い候ところ、去る冬中、御成ご沙汰これある砌、お役人中お越しのとき、御小納戸衆ならびに御鳥見衆へもお目に懸け置き候。惣じて在辺の儀は、野畑に石塔立て置き候類、多くこれあり候えども、寄進地内続き東の方、四方植え込みの内、勿論、御鷹場の御障りにも罷り成らざるように存じ候ゆえ、この場へ、顕誉大僧正の廟所建て申したく願い奉り候、已上、
卯四月    祐天寺

6月3日、祐海は増上寺の方丈へ参上して寮坊主白冏和尚へ、先日、義潭和尚へ届け出た口上書に記した廟所の儀を申し出ると、
「その儀は直ちに役者衆へご面会のうえ、再度ご相談なされるように」
と答えられました。
(つづく)

祐天ファミリー35号(H14-2-15)掲載

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