明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート24

祐天寺精史(十九)

大納言さま祐天寺へ御成

 祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

享保11年(1726)9月11日の夕七時、御小納戸松下仙助殿が祐天寺に入来し、
「来たる15日、大納言さま(後の家重公)が目黒筋の初茸山へ御成あらせられる。その折、ご小休所は祐天寺、ご膳所は瀧泉寺と相い定まったゆえ、その旨、しかと心得られよ」
と伝達されました。このとき、御鳥見衆の内山源五右衛門殿、江口文左衛門殿の2人も祐天寺へ相い越され、大納言さまのご小休にあたり、腰懸とその設置場所など、万端不備なきかどうかを見分しました。

同月12日、小普請方の幾野弥三郎殿が祐天寺に来山して、ご小休予定の場所に、腰懸などを設営しました。

同月14日、吹上御殿の月光院さまから、付台の枠籠に盛った梨子と葡萄が、祐天寺に届けられました。この水菓子は、大納言さまが祐天寺へ御成の節、献上するようにとの伝言が、月光院さまからありました。

同月また、竹姫君さまから大納言さまへの献上物2箱も祐天寺へ届けられ、さらに、大納言さまを饗応するのに用いるようにと、蒸籠2組を祐天寺に下さいました。

15日は晴天でした。昼九時前に大納言さまが馬で祐天寺へ入御遊ばされ、ご小休そしてお弁当を召し上がられました。御成の節、御成御門(祐天寺裏門)の外まで祐海が大納言さまをお出迎えし、大納言さまがその門を通りかかった際、祐海が御目見えの挨拶をしました。

八時過、大納言さまが祐天寺から帰御のとき、本堂へご参拝遊ばされ、そのあと、祐海が表門までお見送り申し上げました。

大納言さまへの献上物として、吹上御殿の月光院さまから届けられた、梨子と葡萄それぞれ1籠と、枝折の柿1籠が付台に載せて献上されました。竹姫君さまから祐天寺に届けられた干菓子1箱と、青莖で包んだ大栗2苞も献上しました。この献上の品々は、大納言さまにご披露のうえ、長持に納め、「献上祐天寺」と墨書した張札を長持の上に立て、代官伊奈半左衛門殿が差配して、中目黒村から人足を出し、その長持を城まで搬送しました。

大納言さまが祐天寺から瀧泉寺へ向かう道順は、次のようでした。

まず、祐天寺の表門を出て戸田孫七殿の下屋敷脇通りへ出て、そこから中の沢通り、次に前田隠岐守殿の抱屋敷内の初茸山へ成らせられ、初茸を狩られて直ちに五本木の方へ出られ、さらに茂左衛門屋敷の下通りから新道へかかり、目黒不動瀧泉寺の裏より瀧泉寺の境内へ入御されました。

大納言さまのお供の衆は、次の13名でした。若年寄衆は松平能登守殿、御側衆は松平駿河守殿、大久保伊豫守殿、御小納戸は松下仙助殿、御目付は小出助四郎殿、島 覚右衛門殿、御鳥見頭は内山源右衛門殿、江口文左衛門殿、栗津喜左衛門殿、高月忠右衛門殿、近藤彦兵衛殿、御徒頭は蜂谷民部殿、御代官は伊奈半左衛門殿でした。

右のほかに、御近習、御納戸衆の面々が供奉しましたが、惣じて奥向の衆中へは、正三菜の膳で饗応しました。

16日、昨15日に大納言さまが初茸山にて茸狩を成されるにあたり、祐天寺をご小休所に仰せ付けられた御礼回りとして、この16日に祐海は、御老中戸田山城守殿、水野和泉守殿、松平左近将監殿、松平伊賀守殿、安藤対馬守殿、若年寄大久保佐渡守殿、石川近江守殿、水野壱岐守殿、本多伊豫守殿、松平能登守殿、寺社奉行黒田豊前守殿、小出信濃守殿、太田備中守殿、御小納戸長谷川吉右衛門殿、松下仙助殿、藪 主斗殿、中嶋備前守殿、御代官伊奈半左衛門殿、増上寺へ、次の手札を持って、御礼回り申し上げました。

昨十五日、目黒筋へ、
大納言様御成に付、拙寺へ
御休所被仰付、難有仕合奉存候、
右為御礼参上仕候、

右のほか、御目付、御鳥見衆、小普請頭へは、祐天寺から使僧を遣し、御礼を申し述べました。

同じく16日、黒田豊前守殿の役人中から祐天寺へ、呼状が来ました。

被達儀有之候に付、明十七日五時、御越候様に、豊前守被申候、已上、
九月十六日
黒田豊前守 役人
祐天寺

17日、昨日の呼状に付いて、祐海が黒田豊前守殿へ参上したところ、役人堀口善左衛門が出会い、
「追付、奉行直に被相達候、先々、始めての御成、滞なく在せられ候儀、結構成る御首尾」
と祝詞を述べられ、ほどなくして祐海が評席へ召し出されると、黒田豊前守殿が書付を読み上げ、その書付を祐海へ渡しました。続いて、付台に載せた金子を祐海が拝領しました。書付の文言は左のようでした。

銀子三枚 下目黒祐天寺
昨十五日、
大納言様御立寄被遊候に付而、
被下候、
九月十七日

拝領物を仰せ渡したあと、黒田豊前守殿は、
「その寺、建立已後、初めての御成、一段の事に候、是より仲間中ならびに松平能登守殿、松下仙助殿へも参上候よう」
と仰せ付けられました。祐海は御礼を申し上げて、その場を引き取り、黒田豊前守殿の指図どおり、松平能登守殿へ御礼回りして、増上寺へも御成相い済んだ旨を届け出て、祐天寺へ帰りました。

後日、御小納戸松下仙助殿へ、御礼として箱入りの沙綾2巻と、箱入のそば粉5袋を使僧を遣して贈り届けました。松下仙助殿の役人松崎与兵衛へは、金200匹を遣しました。

御鳥見頭の栗津喜左衛門殿、高月忠右衛門殿、近藤彦兵衛殿、植村左平次殿へは、上田紙10束ずつを、祐天寺からやはり使僧をもってこれを贈りました。

中目黒下目黒の両名主、年寄と農民たちへは、正味五菜の膳を出しました。

このたびの大納言さまの茸狩では、初茸山の小松林において、初茸を大簣に9杯ほど狩られ、大納言さまはことのほかご機嫌よく、これほど採れたのも、御成を祝う吉兆の証であろうと、供奉の侍たちは不思議の思いをなしたとのことでした。

祐天ファミリー37号(H14-6-20)掲載

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