明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート25

祐天寺精史(二十一)

大納言家重公の御成

祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

享保12年(1727)12月19日、御鳥見頭である高月忠右衛門から祐天寺へ、「この21日、大納言さま(家重公)が御鷹野狩のため高輪筋を経て目黒筋へと御成について、御小納戸の松下仙助殿が後刻、貴寺へ出向く」との手紙がありました。しかし、19日には来寺はなかったのです。
同20日七時、小普請方鈴木九八郎殿、大工人足方、御畳方など、そのほか役人中が祐天寺へお出になり、大納言さまはこのたび、祐天寺を御膳所に仰せ付けられた旨を告げ、御腰懸など夜分までかかり準備されました。

祐海はその夜、寺社司御月番の小出信濃守殿と増上寺役所へ、21日に大納言さまが御鷹野狩のため、目黒筋へ御成あらせられるにあたり、祐天寺を御膳所に仰せ付けられたことを届け出ました。
大納言さまが祐天寺へ御成のときに差し上げる献上物は、水仙花とほか1品に決まりました。

21日の早朝、竹姫君さまから祐天寺へ、蒸籠3組が届けられました。この蒸籠は大納言さまが祐天寺に御成の節、饗応なされますようにとの伝言付きで、竹姫君さまから贈られたものです。
同21日は快晴でした。大納言さまは馬で朝五時の御出門にて、そのまま高輪筋へ御成遊ばされると、そこから品川の東海寺へ向かわれて御立寄りになられ、さらに東海寺をあとに大崎から下目黒行人坂へ馬を進められて、次に別所前まで御鷹野狩を楽しまれました。

大納言さまが祐天寺の惣門前へ着御されたのは、八半時頃のことでした。大納言さまは馬を下りられ、お供の者に馬を駒留の松に繋がせると、惣門を入って表門(二王門)を通り境内に入御され、本堂前右に設営された御膳所で、御食事を召し上がられました。今年3月29日と今日12月19日の2度にわたり、祐天寺へ御目見くださったのです。
献上物は青竹筒に入れて2つ並べにした水仙花1台と、藁包の大根10本でした。
小納言さまが御食事をとられたあと小半刻ぐらいして、大納言さまに差し上げる右の2品いずれも白木台に載せた献上物の御披露が済むと、代官伊奈半左衛門殿が差配して村人足数人を集め、その2品の上に「献上物 下目黒祐天寺」と大書した張札を立て、使僧1人を付けてそれを御城へ送り届けさせたのです。大納言さまが御城へ還御されたのは、七半時頃のことでした。

今日、大納言さまが御成のお供衆は、若年寄松平能登守殿、御側衆の大久保伊勢守殿、松平内匠殿、御小納戸の中嶋備前守殿、大倉越前守殿、市川重次郎殿、宮崎藤四郎殿、平塚喜市郎殿、上原与右衛門殿、日根野権之助殿、為井又六殿、太田権右衛門殿、村嶋清三郎殿、御小性衆の上原因幡守殿、高井但馬守殿、小笠原弥之助殿、仁賀保長吉殿、安藤虎之助殿、御目付の嶋田右衛門殿、小出助四郎殿、御医師の井関玄周老、桂川甫竹老、御膳奉行の佐野次郎太郎殿、松崎清次郎殿、御徒目付の各務嘉右衛門殿、また、同頭である向井兵庫殿、湯浅清太夫殿、井田九郎左衛門殿などでした。

右の御城奥向の衆のうち、布衣已上の方々への料理は正味三菜でした。もっともその膳にはそれぞれ、三方引、重引、包菓子、それに酒と核(酒の肴)が付きました。
即日、祐天寺から使僧をもって、寺社御月番の小出信濃守殿と増上寺方丈である学誉冏鑑大僧正へ、御成が滞りなく済んだ旨の届け出をしました。

22日、祐海は駕籠に乗り、大納言さま御成の御礼回りをしました。その折、手札を持参して、まず、筆頭御老中戸田山城守殿、御老中小野和泉守殿、松平左近将監殿、松平伊賀守殿、安藤対馬守殿、次に、若年寄の大久保佐渡守殿、石川近江守殿、水野壱岐守殿、本多伊豫守殿、松平能登守殿、その次には、寺社御奉行の黒田豊前守殿、小出信濃守殿、太田備中守殿、西尾隠岐守殿、さらに、御側衆の松平内匠殿、大久保伊勢守殿、そして御小納戸松下仙助殿へと順次に回って御礼を申し上げました。

手札には「昨廿一日目黒筋江 大納言様御成ニ付、拙寺江 御膳所被 仰付 御目見申上、難有仕合奉存候、右為御礼参上」の文言を上方に、下方中央には「下目黒祐天寺」と墨書しました。

23日、寺社司小出信濃守殿から、「今日九時過ぎ、屋敷へ相い越されるように」との呼状が、祐天寺に来ました。
祐海は出駕してその刻限に、下谷小島町の三味線堀舟溜の東側に構える、小出信濃守殿の屋敷に参上すると、小出信濃守殿は直々に祐海に、次のことを仰せ渡されました。
「大納言さまは昨21日に、祐天寺へ御立寄り遊ばされたことに付き、銀子5枚をくださるとのお言葉である」
祐海はお付台の奉書紙に並べられた銀子を拝領つかまつり、御礼を申し上げて小出信濃守殿の屋敷を下がりました。

この日、祐海はさらに他の寺社奉行の方々、すなわち黒田豊前守殿、太田備中守殿、西尾隠岐守殿と、若年寄の松平能登守殿への御礼回りをし、銀子5枚を拝領した旨を縁山役所へも届け出て、その日は帰寺したのです。
御鳥見頭の高月忠右衛門をはじめ、その衆中と小普請方鈴木九八郎殿へは、祐天寺から使僧を出して、右のお悦を申し上げました。

祐天ファミリー39号(H14-12-1)掲載

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