明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート27

祐天寺精史(二十二)

祐海 拝迎仰せ渡さる

祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

享保19年(1734)11月10日、縁山増上寺の役所から同山内三島谷の学寮である孤雲室の檀的へ、明日、御用の儀があるので祐天寺祐海が役所へ参上せよとの仰せ渡しがあった旨の手紙が、祐天寺に届けられました。
11日、祐海が役所へ赴くと、所化役者の義潭和尚が、次の趣を祐海に申し伝えました。

「来る14日、増上寺の文昭院さま(家宣公)と有章院さま(家継公)の両御仏殿(御霊屋)へ、天英院さまが御参詣なされる。その節、文昭院さま御仏殿の別当真乗院の億道和尚と有章院さま御仏殿の別当通元(玄)院の学単和尚、それに所化役者両人と寺家役者両人、加えて祐天寺祐海の7方は、方丈内の御装束所御門前へ罷り出でらるべし。
なお右の趣は、寺社御奉行の井上河内守殿からの仰せ渡しである。しかと心得られよ」

この仰せ渡しを受けた祐海は、即刻、祐天寺に帰り、敬んで承る旨の口上書を認め、それを持って同日、西丸大手門内の腰掛後(番士詰所)の役宅に住む、井上河内守殿へ直参しました。口上書には次のように記されていました。「来る14日、増上寺の御仏殿へ天英院さまが御参詣の節、御装束所御門前へ某が拝迎つかまつるようにと、今日、増上寺において仰せ渡されましたこと、誠にありがたき仕合わせに存じ奉り、ここに御礼を申し上ぐべく、参上致した次第にございます」

このたびの天英院さまの御参詣は、去る10月14日、文昭院さま23回御忌相当の御法事を済ませられたことから、その御参詣となったのでした。
12日、祐海は二丸の天英院さま御附の御年寄方へ、「天英院さまがこの14日に増上寺の両御仏殿へ御参詣にあたり、某祐海が拝迎せよとの仰せ渡しを賜わり、心よりありがたく存じ奉ります」と、御礼状を差し上げました。

同日、御年寄の秀小路さまから祐海へ、天英院さまが内々にと下さった、牡丹の御紋附の金糸入りの綿布が贈られてきました。それには、「天英院さまを御拝迎の際には、この綿布地で御仕立てなされた御袈裟を召され、とくと御衣装を御整えなされませ」との、心厚き手紙が添えられていました。

祐海はその日、増上寺の義潭和尚へ会い、牡丹の御紋附の綿布を袈裟に仕立てて、それを拝迎の節に召されるようにとの、秀小路さまの御言葉を申し伝えました。それを聞かれた義潭和尚は、すぐにその慶事を増上寺住職である利天大僧正に言上すると、利天大僧正は、

「さてさて、ありがたき思し召しの儀、ただちに五条に仕立て、御参詣の日に身に付けさせよ」
と袈裟着用の許可を出されたので、祐海は帰寺すると早速、五条袈裟に仕立てたのでした。
13日に続いて14日も曇り空でした。そのため、天英院さまの増上寺御仏殿への御仏参は延引され、その旨が孤雲室の檀的に達せられたと祐海に使者がありました。

15日、義潭和尚から祐海へ、
「明日16日、天英院さまが御参詣ゆえ、増上寺方丈内の御装束所御門前へ詰められるように」
と、使僧をもって伝えてきました。

16日は晴天でした。暁七時(午前4時)、祐海は駕籠に乗り増上寺へ罷り越し、拝迎の準備をしました。四時(午前10時)過ぎ、天英院さまが御参詣あらせられました。天英院さまは五時(午前8時)過ぎに二丸を出御遊ばされ、内桜田門を出られて浜松町を通り、大門を入られて増上寺へ着御されたのでした。
祐海はすでに井上河内守殿から仰せ渡されたとおりに、御装束所御門前に両別当そして役者4方とともに列座していました。列座の右側には利天大僧正が、左側には両別当はじめ祐海ら7方が位置し、一同はそろって天英院さまを拝迎申し上げました。利天大僧正が拝迎の御披露は天英院さま御供の本多中務少輔殿が、両別当そして役者4方と祐天寺祐海が拝迎の御披露は、同じく御供の酒井安藝守殿でした。

御披露が済むと、天英院さまは御装束所へ入御され、御召替えなされて、文昭院さまと有章院さまの両御仏殿へ御参詣あらせられ、そののち再び御装束所へ入御されました。御附の御年寄方はじめそのほかの供廻りの侍たちへは、方丈内にて饗応がありました。
今日、両御仏殿への天英院さまからの御供え物は、白銀20枚づつでした。また拝迎の僧たちへの拝領物は、利天大僧正が銀10枚、両別当と役者4方がそれぞれ銀2枚づつ、祐天寺祐海は銀3枚でした。

天英院さまが方丈の奥部屋で御休みの間、その部屋の御錠口まで祐海が参上し、御年寄方へ御逢いしました。その折、天英院さまが秀小路さまを通して祐海へ、御内々の心のこもった御言葉をかけて下さいました。
次に祐海は、天英院さまの御用人方へも会われ、御挨拶を申し上げました。
七半時(午後5時)過ぎ、天英院さまは御機嫌よく二丸へ還御なさいました。
祐海はそれより利天大僧正のもとへ参り、天英院さまが滞りなく御参詣を済まされたことを、恐悦ながら申し上げ祐天寺に帰りました。

17日、祐海は出駕し、天英院さまの御用人酒井安藝守殿、桜井源右衛門殿、堀又十郎殿、それに寺社御奉行である井上河内守殿の役宅へ廻り、昨16日、天英院さま御参詣での拝迎と拝領物を賜ったことへの御礼を申し上げました。
同日、祐海は二丸御殿へ参上し、御参詣の節は天気よく、御すらすらと御仏参を済ませられたことと、さらに拝迎の儀と拝領物を賜った御礼、ならびに過日は御内々に拝領した、牡丹の御紋附の金糸入り綿布にて、五条袈裟を仕立ててそれを昨日着用したことも、委細に御附の御年寄秀小路さまほかへ御礼申し上げ、帰寺しました。

祐天ファミリー40号(H15-2-15)掲載

 

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