明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート31

祐天寺精史(二十五)

時の鐘仰せ付けられ候一件 2

 祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

元文3年(1738)9月13日、祐海は寺社御奉行御月番の大岡越前守殿の役宅へ直参し、次のような届書を差し出しました。

「 口上覚
先達てお届け申し上げ候とおり、先年、一位天英院さまより拙寺へ御建立の御釣鐘、こたびまたまた御追善として、永々12時あい撞き候ように、去る8月21日、御用人の酒井安芸守殿が拙寺へお越しのうえ仰せ付けられ候。もっとも、増上寺にて文昭院さまの御法事の初日より撞き初めの法事仕り候ようにと、これまた仰せ付けられ候。しかれば昨日、来たる10月9日より11日まで、撞き初め法事仕り候よう仰せ付けられ候間、この段、御届け申し上げ候、已上」

同月19日、二丸の一位天英院さま御用人である酒井安芸守殿屋敷へ祐海は参上し、次の届書を提出しました。

「 口上書
先年、御寄附の御釣鐘、こたび12時あい撞き候ように仰せ付けられ候。それにつきて、撞き初めの儀は、来たる10月9日より11日まで、日数3日の間、御供養の法事執行仕り候。これによりて、御届け申し上げ候。
已上」

同月22日、一位天英院さまの御附きの御老女秀小路さまから祐海へ、こたびの御供養について、御内々に一位天英院さまから御召しの御服を3重下されたゆえ、法事の節に袈裟にあい仕立て着用するようにと拝領仰せ付けられました。
同月27日、一位天英院さまの御老女である高見さまから、供養の節に張るようにと、紫縮緬の葵御紋つきの御幕4張と、晒の同御紋つきの御幕6張、ならびに御桃燈類が出来したとのことで、それを長持に入れて手紙を添え、祐天寺に御寄附下さいました。

10月朔日、高見さまから祐海へ次のような手紙が届きました。

「この間くわしく御返事に仰せ下されし御用向き、とくと拝見まいらせ候。一位さま御きげんよくならせられ候御事、御めでたく存じまいらせ候。御手前さま御変わりもござなく候や。承りたく候。さぞさぞ、なにかくとこの節は御取り込みと存じまいらせ候。さては9日より3日のうち、こなたより参り候節、皆々、給い物の御事、この間申し進ぜ候ところ、御所さま方より御参りも御座候ゆえ、御取り込みなされ候わんとの御事、ごもっともに存じまいらせ候。さ候わば、御所方より参り候へば、女中の分はこなたより茶漬にても残らず出し申すべく候。御所方のほか、御三家方、御浜の衆までは皆々こなたより出しまいらせ候。男向きの衆はいかようにもそのもとより給い物を御出し下され候ように、秀小路殿より申し進ぜ候ようにとの御事に御座候。
めでたくかしく。
かえすがえす下方よりの参詣、女中はかまい申さず候まま、さように御心得なさるべく候。御世話ながらその節、椀かくは100人前ほど御支度なしおかれ、給い物を取りさばきいたし候ところへ御出しおき、そのほか御支度なし下さるべく候。御取り込み中ながら、さよう御心得下さるべく候。    めでたくかしく」

右の御供養あい勤め候について、祐海は御鳥見衆の粟津喜左衛門殿へ使僧をもって届け出ました。
同月8日、二丸の高見さまより手紙にて、明日よりの御供養の御供として、白木の三方4台にのせた餝物が祐天寺に届けられました。右は尊霊さま、如来さま、内仏前、開山前へ備えました。

同月9日は晴天でした。朝の四時過ぎより法要が始まりました。法要の次第は去る享保14年(1729)の御釣鐘御供養のとおりでした。この初日は、一位天英院さまから御代参の秀小路さまが御参詣され、一位天英院さまから銀5枚、干菓子1折、生花1桶が竪目録で文昭院さま御仏前へ備えられ、開山前へは銀3枚が備えられました。銀10枚と時服3重は祐海へ下さいました。このほかには御12時鐘の撞き初めの御供養の御施物として、銀30枚を御付台にて祐海が拝領しました。さらに、御方々さまよりの御代参が日々おびただしく、ほぼ、享保14年の御釣鐘御供養のようでした。ただし、先達て仰せ遣わされ候とおり、惣御所方の御代参ならびに女中の分は、二丸からの御饗応で、寺よりは一切構いはせず、膳椀100人前を弁当所へそろえて置いただけでした。もっとも、汁1つづつを吸物として出し、ほかに煮染重箱を2組出し、下々へは1汁2菜を、侍以上へは1汁3菜を出し、供養中も同様でした。初日の人数は総じて1200人前ほどの賄いで3日間ともほぼ同様な饗応でした。

3日間の天気は快晴でした。日々、御用人酒井安芸守殿の御用達が1人づつ詰め、寺社御奉行の大岡越前守殿からは日々、見回りの役人が越され、法要後までも詰めていました。また、高松少将殿(讃岐高松藩主第4代松平頼桓)からは御固め人足が20人余りと小頭1人を差し添え、日々、祐天寺に遣わされました。

同月12日、滞りなく御供養が済んだので、祐海は寺社御奉行の大岡越前守殿とその御用人中へ直参し、御礼を申し述べました。同日、一位天英院さまへ御供養の御供1重を、手紙を添えて御老女秀小路さまを通して御贈り申し上げました。
同月16日、増上寺の文昭院さまの御霊屋へ御年回について、5種香10袋を御備え申し上げ、拝礼仕りました。
同月18日、上目黒・中目黒・下目黒と碑文谷の名主、それに近所の農夫を祐天寺に招き、それぞれに1汁5菜を出しました。
同月19日、坂戸村・久本村・小田中村・市坪村・北嘉瀬村・鹿田村・下平間村・塚越村・蓮根村・轟村の名主とそのほか出入りの者を招き、1汁5菜を出しました。
同月28日、二丸の御老女秀小路さままで、右の撞き初めの御法要が滞りなく済んだので、その御礼として蕎麦切を3組、手作の大根、酒5升を、手紙を添えて祐天寺から差し上げました。

祐天ファミリー44号(H15-12-1)掲載

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