明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート34

祐天寺精史(二十七)

天英院さま御仏殿などを造営(その2)

 祐天寺研究室 主任研究員 伊藤丈

延享2年(1745)4月20日、これまでの住持の居間を取り壊すことになったので、祐海は書院へ引き移りました。
5月25日、居休屋の廊下を取り外し、その部分から横並びに物置ならびに衆頭寮を建て増しました。

7月4日、天英院さま御仏殿が出来したことから、この日より3日3夜にわたり別時念仏の開白を奉修すべく、まず本堂の本尊である開山祐天大僧正の御影を奉請して小書院の床の間に安置申し上げ、それから天英院さまの尊牌を新たに造った御宮殿の中に納め、そして開山御影を御仏殿内の右座に、文昭院さま(家宣公)の尊牌を左座にそれぞれ安置して、別時念仏を開白しました。
翌5日朝、本堂へ開山御影を帰座させてのち、阿弥陀堂の本尊阿弥陀如来を御仏殿の左の方へ奉安して供養の読経を捧げ、翌日は阿弥陀如来を阿弥陀堂へ帰座申し上げました。
また、本堂の開山御臨終仏、万部回向仏、小書院の内仏阿弥陀如来この三尊を御仏殿へ奉請し、それに神君さま(家康公)はじめ代々将軍さまの尊牌を御仏殿へ移して、その各尊さまに2汁5菜の御膳をそれぞれ供養さし上げました。この別時念仏の法要は祐天寺の衆僧が総出勤して執り行いました。
天英院さまの御仏殿が造営されたことで、御本丸の御老女高瀬さま、清崎さまの取り扱いにて、次の数々の御寄付がありました。

一 御紋附金襴御水引 1通
一 御紋附金襴御打鋪 1通
一 御紋附金金襴御戸張 1通
但し玉簾とも
一 御紋附紫縮緬御幕 2張
一 御紋附御翠簾   5枚
右は御本丸大奥より下され候分。
一 牡丹御紋附金梨子地御膳具  1通
一 同朱塗御膳具   1通
これは天英院さま尊牌御納めの節に下され候。
一 同朱塗御膳具   1通
一 御紋附銀御茶湯器 1通
一 同黒塗と梨子地の御茶湯器  3通
御在世に御上り用の御品右は一位さま(天英院)御附の秀小路さまから御納めこれあり候。
一 天英院さま尊牌御塵除御宮殿 1宇
一 御紋附滅金大三ツ具足 一通
但し木蓮花御香炉台とも
一 御紋附大前机   1脚
一 御紋附滅金御燈籠 1対
但し台とも
一 同黒塗小御前机  1対
一 同滅金5具足   1対
一 同御供物台    2対
一 同黒塗御経机   1通
但し御経とも塗香器、洒水器
一 打がね      1通
一 伏鐘       3挺
右は御遺金の内の御金をもって相い仕立て候御道具。御入用の訳の委細は秀小路さまへ申し上げ候こと。

延享2年の春から御仏殿はじめ書院などを、二丸の一位さまの御座の間120坪の御材木、畳、戸障子、釘隠まで用いて建て替えたので、祐天寺に在来あった建物は取り崩しました。その内訳は左のようでした。

一 24坪半 玄関より衆頭寮まで
一 27坪 小座敷ならびに廊下と茶所
一 14坪 仏間
一 8坪 役寮より茶の間と押込まで
一 19坪 居間と物置とも
一 11坪 台所
一 5坪 井戸屋
一 3坪 内玄関
一 6坪 湯殿
合わせて122坪なり。このたび新たに作事した建坪の分は、左のとおり。

一 9坪 御仏殿
一 21坪 小書院内仏の間とも
一 28坪 居間、物置、役寮とも
一 37坪半 小座敷溜り、寮所と廊下とも
一 4坪半 内玄関小寮とも
一 21坪 玄関
一 18坪半 廊下より衆頭寮まで
一 16坪 台所
一 6坪 湯殿
〆て160坪なり。

右坪数を引いて38坪がこのたび増坪した分に候。但し右の建坪と拝領の坪数120坪とをもって差し引きすれば、82坪が残ること相いなり候。以下は惣坪数の覚

一 160坪 新作事、朱引絵図のとおり
一 93坪 茶の間以下土蔵まで
一 28坪 書院
一 24坪 居休庵
一 42坪 6間に7間の本堂
但し本堂は8尺間ゆえ、実には63坪なり
一 10坪半 3間四方の庇とも阿弥陀堂
一 8坪 仁王門
一 4坪 御釣鐘堂
一 18坪 土蔵
一 26坪 物置2か所
一 12坪 御用部屋
合わせて425坪半なり。
延享2年7月11日これを改む。香残記し置く。

今年2月6日から釿始、7月6日に作事が全て成就し、それまでの書院の三方のうち、玄関前表通りと小書院前通りの小書院の上と内玄関の上の2か所へ、二丸御殿の破風を上げ、玄関へは御紋附の御金物を打ち付けました。委細は朱引絵図のとおりにて、天井板まで桧木の板でしかも御紋が附いており、釘隠の全部と違棚にも御紋附の金物が取り付けられました。

祐天ファミリー49号(H16-12-1)掲載

TOP