明顕山 祐天寺

論説

祐天寺研究ノート37

祐天寺精史(三十三)

寺格願ならびに仰せ付けのこと(その2)

 祐天寺研究室 主任研究院 伊藤丈

明和9年(1772)12月12日、祐全は土岐美濃守殿の役宅へ直参して、次の書付を差し出しました。

拙寺寺格の儀、先達って願い奉り候、しかるに明春は、天英院様三十三回御忌に成らせられ候御事に御座候えば、なにとぞ、速かに仰せ付けられ下し置かれ候はば、有り難く存じ奉り候、右、御伺い申し上げたく、斯くの如く御座候、以上、
目黒
十二月十二日    祐天寺
寺社御奉行所

右の書付を祐全は加藤半左衛門へ差し出すと、加藤半左衛門は一覧して、「最早、願いの趣、寺社奉行当月番の松平周防守殿へ御伺いに相い成り候間、この上は御沙汰次第の事に候、この段、さように相い心得られ候よう」と、祐全へ伝えました。祐全はこの旨を承り、少しく安堵の思いで祐天寺へ帰りました。

同月17日、土岐美濃守殿の役人から次のような呼状が祐全に届きました。

達せらる儀これあり候間、今日中、役僧一人を差し出し候よう、美濃守申し付けられ候、以上、
土岐美濃守
十二月十七日     役人
祐天寺

祐全はこの呼状に左の請書を平僧順冏に持たせ、土岐美濃守殿の役宅へ遣しました。

仰せ達せらる儀御座候に付いて、今日中、役僧一人を差し出し候よう仰せ下され、その意を得奉り候、以上、
十二月十七日    祐天寺
土岐美濃守様
御役人中

右に付いて即刻、祐全は役僧香観を同所へ差し出すと、加藤半左衛門が出会い、次の書付を示して達せられました。

祐天寺
右、明十八日五半時、松平伊賀守内寄合へ罷り出らるべく候、
十二月十七日

加藤半左衛門はこの書付を香観へ渡すと、「祐天寺祐全儀、病気そのほか差し障る儀これなきや」と訊ねたので、香観は「煩いかつ差し障りの儀、一切これなし」と申し上げ、直ぐに増上寺へ向かい、この旨を届け出で帰寺しました。
同月18日、祐全が松平伊賀守殿の役宅へ参上し、待合席に扣えていると、九時(正午頃)、寺社奉行である土屋能登守殿、牧野越中守殿、土岐美濃守殿、松平伊賀守殿の内寄合列席へ召し出され、当御月番土岐美濃守殿が祐全へ、内礼認許の仰せ付けが公方様から老中を通して寺社奉行へ達せられたと仰せ渡しました。

即日、祐全は内礼の寺格を頂いた御礼廻りのため、祐天寺へ帰りすぐに手札を製して、本丸ならびに西丸の老中と若年寄、寺社奉行の四方とその側衆へ残らず御礼廻りをしました。そして、増上寺の第四十八世住職智瑛大僧正に内礼認許の旨を言上すると、智瑛大僧正は使僧天随和尚を寺社奉行の土岐美濃守殿へ遣して、祐天寺内礼拝具の御礼の挨拶をしました。その際、音物として、土岐美濃守殿へ白銀5枚と御菓子を1折、掛りの役人加藤半左衛門へ金500疋、その他の寺社役人3人へ金300疋を差し上げました。

同月20日、祐全は土岐美濃守殿へ次のような寺格内礼の仰せ付け御礼に伴う、登城の願書を差し出しました。

今般、拙寺寺格の儀、正月六日、御白書院において持参の御礼申し上げ候よう、仰せを蒙り奉り、有り難く仕合わせに存じ奉り候、
之に依って冥加として今般何卒、公方様
大納言様へ十帖一本を献上つかまつり、登城御礼を申し上げたく願い奉り候、右、願いの通り仰せ付けられ下し置かれ候わば、
有り難く仕合わせに存じ奉るべく候、以上、

右の願書を祐全は寺社役人の加藤半左衛門へ出会い差し出しました。その折、加藤半左衛門は「このたび貴寺、寺格内礼を仰せ付けられ候に付いて、正月六日の登城の節、住職祐全が乗輿にて大手門から玄関まで達する儀は、至って重き事に候へば、早々、当奉行美濃守へその乗輿の許可を得べく、願書を少しも早く差し出されるよう」と申し伝えました。祐全はこの助言をしかと受けとめ、加藤半左衛門へ「宜しく御取り成し下さるべし」と頼み置き、増上寺へ罷り越し、帳場の林臥和尚へ会い、乗輿願書の文面につき相談して、同日、林臥和尚の許で乗輿願書を認め、再び寺社役人の加藤半左衛門へ出会い、乗輿願書を差し出し、丁重にこの件を頼み置いて帰寺しました。

同月23日、祐全は土岐美濃守殿へ直参して、去る20日に差し出した乗輿願書について、加藤半左衛門に出会い尋ねると、加藤半左衛門は「乗輿願書は最早それには及ばざる旨、美濃守申され候」と祐全に伝え、乗輿願書を差し戻して「追って詳細は沙汰に及ぶべし」と言い渡しました。同月24日、祐全は増上寺へ罷り越し、寺格内礼が公方様より拝具したその御礼として、智瑛大僧正へ表御礼を銀2枚、寺格内礼それ自体の御礼を銀1枚に紗綾2巻、この外に4役者中へ金200疋づつを差し上げました。

同月26日、寺社役人の加藤半左衛門から祐全に呼状があり、約定の八時(午後2時頃)に土岐美濃守殿の役宅へ参上すると、土岐美濃守殿から直接に祐全へ、正月6日の登城についての式次第の詳細が達せられました。

祐天ファミリー53号(H17-9-1)掲載

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