明顕山 祐天寺

論説

本朝芝居嘘実譚(4)

『伽羅先代萩』高尾太夫

祐天寺研究室 浅野祥子

 江戸時代に作られた歌舞伎・浄瑠璃には、日本史上のさまざまな史実・人間模様が素材として織り込まれています。
『本朝芝居虚実譚』と題するこの特集ページでは、各回芝居の登場人物1名を取り上げ、史実をいかに作者が利用したか、虚実がどのように使われているかを見てまいりたいと思います。

『伽羅先代萩』4

伊達藩主綱宗侯については連載の第1回で触れましたが、綱宗が吉原で高尾太夫となじんでいた、という説話があります。
『伽羅先代萩』は現在では連載第1回で述べましたとおり、『伊達競阿国戯場』そのほかの脚本の寄せ集めとなっています。『伊達競阿国戯場』では高尾の妹が累という名であると設定し、累・与右衛門の世界と一緒になって劇に作られています。

『伽羅先代萩』では、高尾が殺される場は最近は上演されないことが多かったのですが、国立劇場第210回歌舞伎公演(1998年)では「高尾丸船中の場」が38年ぶりに復活上演されました(山田庄一氏脚本)。
そのときは、高尾は「頼兼が廓遊びをしているのは頼兼自身のためにならない」という頼兼の忠臣の言葉により、愛する頼兼に愛想づかしの悪態をつき、怒った頼兼に川へ斬り込まれるという筋になっています。

三浦屋の名妓

吉原三浦屋の高尾太夫は大変名高く、11代までいたと伝えられます。「高尾」という源氏名は紅葉の名所である京都の高尾山に因み、紋も紅葉を用いていたと言います。

11代のうち、伊達綱宗となじんでいたという伝説があるのは、2代目万治(仙台)高尾です。この高尾は歴代のうちでも特に名妓と伝えられています。
『江戸鹿子』には「かたちのうるはしきことはいふもさらなり。手跡は、佐理、行成にもおさ/\おとるまじく、琴、三味線の秘曲は底を極め、あさか山のあさからぬ三十一文字をもたどり、万にいみじき遊女……」とあり、美しいだけでなく諸芸に秀でた女性だったと記されています。

この高尾は下塩原塩釜村百姓長助の娘に生まれ、名をみよと言いました。幼いときに両親に死に別れ、親戚に養われているうちに、養女にもらわれていき、数年経って吉原にいることがわかったようです。

大田南畝の著である『一話一言』には、

けさの御わかれなみのうへ御帰
路、御やかたの御しゅびいかが
御あんじ申候、わすれねばこそ
おもひ出さず候、かしく

という、綱宗宛てと言われる高尾の手紙が紹介してあります。綱宗は高尾と会ってのち館へ帰ってこの手紙をもらい、特に「忘れないのですから改めて思い出すことはいたしません」という言葉に、いたく感動したということです。

死にまつわる伝説

一方、綱宗は高尾を連れて船遊びをした折に、言うことを聞こうとしない高尾に腹を立て、三つ股という場所で吊るし切りにしたという伝説もあります。

永代橋のほとりにある高尾大明神は、切られた高尾の首が流れ着いたのを埋めたところだと土地の人は言うと『高尾考』に書かれていました。
また、意中の人がいるので高貴の人の意に添えず、自ら刃に臥したとも言われます。高尾の意中の人とは誰かというと、彦根藩士石井吉兵衛、あるいは島田重三郎、と書物によって記載が違うようです。

しかし吊るし切りにあった、また自ら死んだという説は妄説にすぎず、高尾は病死して山谷の春慶院に葬られたと江戸後期の合巻作者・随筆家である山東京山は考えています。山東京伝と京山の兄弟は、ある日春慶院を訪ねて、高尾の墓の由来を聞きました。住職が言うには、昔、高尾太夫が病気保養のために、近所にある三浦屋の別荘に来ていた折、この寺の常念仏の鉦の音が高尾の耳に聞こえ、最期のときには常念仏の寺に葬ってくれと遺言したのだということでした。

春慶院にある高尾太夫の墓と伝えられる墓石には紅葉が彫られ、「窩誉妙身」という法号が刻まれていました。背面には、「寒風にもろくもくつる紅葉哉」という句が刻まれ、高尾辞世の句と伝えられると『京山百樹高尾考』に書かれています。

京伝・京山はこれを高尾の墓と認めたようですが、京山は同書で、また京伝は別著『近世奇跡考』で、日本堤のかたわらにある、道哲という道心者の墓もある西方寺という寺院に、高尾の墓と伝えられる墓石があること、そして道哲が在俗のとき、高尾の私夫だったという妄説があることも伝えています。
あまりにも有名であったため、高尾太夫は数々の伝説を付与されたのです。芝居のほかにも富本『高尾さんげ』、落語『高尾』など、高尾太夫の名は多くの芸能に残されています。

いずれも病死ではなく、非業の死を遂げたという設定になっているのは、美女の非業の死という設定のほうが劇的で、芸能に仕組みやすかったためでしょうか。

参考文献
・『伊達騒動実録』(大槻文彦、名著出版、1970年、明治時代の出版物の再版)
・『江戸鹿子』(藤田理兵衛、貞享4年―1678年刊行、国会図書館蔵)
・『一話一言』1(『日本随筆大成』別巻1、吉川弘文館、1978年)
・『高尾考』(大田南畝と山東京伝ほか、『燕石十種』1、中央公論社、1979年)
・『近世奇跡考』(山東京伝、『日本随筆大成』第2期6巻、吉川弘文館、1974年)
・『京山百樹高尾考』(山東京山、『続燕石十種』2、中央公論社、1980年)
・『高尾追々考』(『鼠僕十種』上、中央公論社、1978年)
・『高尾』(初代柳家小せん口演、『口演速記明治大正落語集成』、講談社、1981年)
・「高尾」(日本史小百科、『遊女』、近藤出版社、1979年)

祐天ファミリー38号(H14/9/1)掲載

TOP