明顕山 祐天寺

論説

本朝芝居嘘実譚(6)

『新版歌祭文』丁稚久松

祐天寺研究室 浅野祥子

 江戸時代に作られた歌舞伎・浄瑠璃には、日本史上のさまざまな史実・人間模様が素材として織り込まれています。
『本朝芝居虚実譚』と題するこの特集ページでは、各回芝居の登場人物1名を取り上げ、史実をいかに作者が利用したか、虚実がどのように使われているかを見てまいりたいと思います。

『新版歌祭文』

近松半二作の人形浄瑠璃です。安永9年(1780)9月、大坂・竹本座で初演されました。

和泉の国の侍、相良丈太夫の遺児久松は、野崎村の百姓久作に育てられました。ところが、奉公先の大坂の質店、油屋の娘お染と恋仲になってしまいます。

お染には折から、油屋に金を貸している山家屋との間に抜き差しならぬ縁談が起こりました。久松にも以前から、久作の後妻の連れ子のお光という娘が許嫁として決まっていました。
久松は悪人に騙されて濡れ衣を着せられ、実家に帰されてきました。久作はそんな久松を受け入れ、この機会に奉公はやめてお光と祝言を挙げるように説得します。いそいそと婚礼の仕度をするお光ですが、野崎村を訪ねてきたお染と久松の様子に、2人の気持ちが変わらないことを知り、お光は2人を追い詰めて心中させないために自ら身を引き、髪をおろして決意を示します。

しかし、お染がすでに久松の子を宿していることもあり、思い詰めた2人は死を選びます。油屋の蔵に閉じ込められた久松は蔵の内で、お染は外で同時に死に、心中を遂げました。

心中事件はあったか?

心中の主人公2人については、詳細はわかりません。心中事件の有無さえ、はっきりとはしないのです。
お染久松の心中事件は偽りであるという説があります。丁稚久松が子守りしていた主家の5、6歳の女の子、お染が井戸を覗きたいと言うのでおぶったまま覗かせたところ、暴れてそのまま井戸に落ちてしまい、怒った主人が久松を土蔵に入れておいたところ、久松は申し訳に自殺したというものです。これは『及瓜漫筆』(随筆)などの資料に載っています。

ところが、この説は誤りであり、心中は本当にあったという説が黒木勘蔵氏によって唱えられ、今では一般的になっています。黒木氏は、戯曲より前に書かれた多くの歌祭文が存在し、戯曲もそれらを取り入れていることから考えると、情死事件は事実ではなかったかと推論されています。また、お染久松の33年忌に合わせたとする作品、『さんじゅう三年忌袂白絞』が元文5年(1740)3月から大坂で上演されていることから考えると、宝永5年(1708)正月に情死事件があったのであろうとされています。

若い恋人同士

久松もお染も幼い恋人同士でした。お染が野崎村へ久松を訪ねてきた折、家人への土産にと「芥子人形」を持ってくる場面があります。その土産は、かえってお光を怒らせてしまう種となるのですが、お染がまだまだ人形をもてあそぶような幼い少女だということを表す挿話と言えます。久松のほうも、前髪があるのは元服前であるということです。

お店の生活

丁稚である久松は、どういう状況だったのでしょうか。江戸の例ですが、大店の呉服店である越後屋の例で見てみましょう。

通常、丁稚になる子どもは12~14歳で店に奉公します。丁稚の生活は厳しいものでした。月によって5時起床で10時就寝、4時起床で12時就寝などと定められていました。もちろん給料はなしで、お仕着せが与えられるだけです。店の掃除やお遣いなど、雑用はもっぱら丁稚の仕事です。商家はこの子どもに夜、読み書き算盤を教えます。丁稚時代をその店で過ごした者を「子飼い」と呼び、それ以降に店に来た者を「中年者」と呼びます。やがて丁稚が20歳前後になり、元服も済ませると平手代に昇進します。ある程度商売のノウハウを覚えた者と見なされるわけです。そのあと、上座、連役、役頭、組頭に昇進する者がいます。その上は支配、通勤支配です。組頭になるまでにはおよそ12~18年かかりました。通勤支配になる者はごく少数で、だいたい40歳過ぎですが、妻帯して一家を構え別の家から通うことができました。また、平手代以上まで勤め上げて円満退職した者は、越後屋の暖簾と屋号とが授けられ、暖簾分けが行われるのでした。

「お染久松」の事件は、大店の一人娘として寵愛されて育った、世間知らずな少女と、「子飼いの丁稚」とが、起こしてしまった恋愛事件なのです。
江戸時代は、親の許さぬ恋愛はご法度でしたが、ことに久松はまだ前髪のある若さ、おまけに丁稚の身ではまだまだ結婚など考えもできない状況です。そして相手のお染のほうは、すぐそこに借金のかたのようにして抜き差しならない嫁入りが迫っている……2人がともに将来を語ることができる可能性は全くありませんでした。

加えて、お染は妊娠していたのです。2人の進む道は1つしかありませんでした。お染久松と言えば、若い恋人の代名詞のような存在です。2人の若さが、結末の痛ましさを増します。

参考資料
・『及瓜漫筆』(『未刊随筆百種』9、米山堂、1927年)
・「おそめ久松袂の白しぼり解説」(黒木勘蔵、『日本名著全集』のうち『浄瑠璃名作集』上、日本名著全集刊行会、1927年)
・「三井家の経営―使用人制度とその運営―」(中井信彦、『社会経済史学』31巻6号、昭和1966年)
・「江戸店の生活―白木屋日本橋店を中心としてー」(林玲子、『江戸町人の研究』2、吉川弘文館、昭和1973年)

  祐天ファミリー40号(H15/2/15)掲載

TOP