明顕山 祐天寺

論説

本朝芝居嘘実譚(10)

『六歌仙容彩』4 大友黒主

祐天寺研究室 浅野祥子

 江戸時代に作られた歌舞伎・浄瑠璃には、日本史上のさまざまな史実・人間模様が素材として織り込まれています。
『本朝芝居虚実譚』と題するこの特集ページでは、各回芝居の登場人物1名を取り上げ、史実をいかに作者が利用したか、虚実がどのように使われているかを見てまいりたいと思います。

『六歌仙容彩』

天保2年(1831)、江戸中村座で初演された歌舞伎舞踊。松本幸二作詞、10世杵屋六左衛門・初世清元齋兵衛作曲。

『古今和歌集』作者の中で、六歌仙と言われる歌の名手6人のうち、小野小町以外の僧正遍照、在原業平、文屋康秀,喜撰法師、大伴黒主の5人を踊り分ける変化舞踊。それぞれが小野小町に思いを寄せるがかなわない、という趣向になっています。

大友黒主

大友黒主については詳しいことはわかっていません。天長(824~834)頃生まれ、延喜(901~923)末年頃没かとされています。弘文天皇の皇子で大友の姓をたまわった与多王の孫とされます。近江国滋賀に住んだ豪族で、地方歌人です。

悪役・黒主

大友黒主は、謡曲『草子洗小町』では小野小町とは敵対する間柄として描かれます。小町が歌合わせで詠む歌を事前に黒主が探り、『万葉集』にこっそりと書き入れておきました。小町は、『万葉集』にある古歌を盗んだとして黒主に非難され、立場が危うくなりましたが、『万葉集』を水で洗わせて欲しいと申し出て、その結果、新しい墨は流れ落ちてしまったので、潔白が証明されたというものです。

『六歌仙容彩』は、この話の系統を引いています。小町に心を寄せる黒主は、自分の恋をかなえるならばその歌を小町の歌であると奏聞しようともちかけますが拒絶され、帝に対する謀反も暴かれるという話になっています。
大友黒主は、『古今和歌集』仮名序では「その様、卑し。言はば、薪負へる山人の、花の蔭に休めるがごとし」(歌体が卑しい。喩えて言えば、薪を背負った樵が、花の下で休んでいるようなものである)と評されており、このことが後世、黒主が悪役とされるに至った元とも考えられます。
また、歌舞伎『積恋雪関扉』の幕開きに、黒主が関守に扮して薪によりかかって墨染桜の下でうたたねしている風を見せるのは、『古今和歌集』の文章そのもののなぞりです。

さらに、黒主は名前に「黒」の文字が入っていますが、このことがマイナスのイメージを膨らませたと考えられます。歌舞伎で黒は悪役のイメージが強いからです。

黒のイメージ

『妹背山婦女庭訓』では、謀反人蘇我入鹿は黒い袍を着て現れます。また『菅原伝授手習鑑』でも、天下をねらう悪人藤原時平は黒い袍を身に付けています。前出した『積恋雪関扉』では、黒主は正体を現わすともちろん黒い郭を着ており、国崩しの大悪人たちの衣装は黒が一般的であるとわかります。

また、『楼門五三桐』で石川五右衛門は黒い装束を着けており、『青砥稿花紅彩画』(白波五人男)で賊徒の張本日本駄右衛門も黒い着付けで現れ、泥棒家業でも黒が人気だったことがわかります。

「黒」は、「悪」のイメージだったのです。

参考文献
・『古今和歌集』(新古典文学大系、小島憲之ほか校注、岩波書店、1989年)
・『作者別年代順古今和歌集』増補版(小沢正夫、明治書院、1990年)

祐天ファミリー44号(H15-12-1)掲載

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