明顕山 祐天寺

論説

歌舞伎・浄瑠璃と仏教(三)

観世音菩薩(その1)

祐天寺研究室 浅野祥子

観世音菩薩は、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍の菩薩です。人々に大変親しまれているこの観音菩薩をこれから数回にわたって取り上げてまいります。

京都三十三間堂
「観音経」(「法華経」の「観世音菩薩普門品」のこと)には、観音は33に姿を変えるとあり、観音信仰には33の数字が深くかかわってきます。京都の蓮華王院は長寛2年(1164)後白河法王の御願により建立されたもので、三十三間堂という通称が大変有名です。この由来と、祇園女御を巡る朝廷、武士勢力の葛藤を描いたのが浄瑠璃『祇園女御九重錦』です。祇園女御は祇園社脇の水汲み女などと言われ出生の定かでない女性ですが、白川院の寵愛を受け、権力を持ちました。『平家物語』には平清盛を、忠盛に下賜された女御の産んだ白川法王のご落胤とする説があり、これも浄瑠璃に取り入れられています。また、後白河法王が熊野三山を信仰し頻繁に参詣したことも、話の下敷きとなっています。

『祇園女御九重錦』
若竹笛躬と中邑阿契作の浄瑠璃です。第3段は『三十三間堂棟木由来』という名でよく知られています。
物語は登場人物の前世の話から始まります。熊野の梛の木と柳の木は、連理の枝を交わす夫婦の木でした。修行者蓮華王坊はこれを嫌い、枝を切ります。梛は横曽根の平太郎として生まれ変わり、柳はそのままの姿にとどまりました。2者の恨みで蓮華王坊は谷に落ちて柳の枝に貫かれて死に、白川法王として生まれ変わります(浄瑠璃では公をはばかって後白河の名を変えています)。

柳の精は熊野の茶屋の美人の女主、お柳に姿を変えて暮らしていました。

平太郎とお柳は出会って夫婦となり、緑丸という子ももうけてむつまじく暮らしていました。一方、白川法王は頭痛に悩み、平癒の祈願にしばしば熊野三山に参詣しています。ある日夢で「谷陰の柳の大木を棟木として三十三間の堂を建立すれば病は平癒するだろう」というお告げを受け、法王の命で柳を切ることとなりました。この柳を切ることは、お柳の死を意味します。お柳は自分の正体が柳の精であること、前世からの因縁により契りを結んだことを平太郎に告げ、柳の葉の舞い散る中、まだ頑是ない緑丸に心を残しながら姿を消します。

■平太郎木遣り唄
やがて切られた柳の大木がひかれていく荷車が、平太郎の家の前を通り掛かると、そこで止まってしまい、どうしても動きません。お柳の子供への愛着心が車を止めたのです。平太郎が申し出て緑丸に車を引かせると、わが子に負担をかけまいとするお柳の念により、車は嘘のようにするすると滑り出すのでした。

木やり音頭は父が役、かざす扇もしおれ声、「むざんなるかな稚き者は、母の柳を都へ送る、元は熊野の柳の露に、育て上げたる其の緑子が、ヨイヨイヨイヨイ、アリャ、コリャ」「こりゃおれがかか様か」と、
綱引捨ててわっと泣き、「も一度乳は呑まれぬか」と、縋り嘆けばてて親は、涙に声もかれ柳、枝に流るる血汐の涙。是や目前愛別離苦、動くも不思議ははきぎの、草木心有ればこそ……。

哀感あふれる詞章に、浄瑠璃の節は逆ににぎやかに派手につけてあり、かえって哀れを際立たせます。三十三間堂棟上げの日、夢の告げでお柳は楊柳観音だったことがわかります。また緑丸は、将来六角堂救世観音の申し子、親羅丸(親鸞上人)の弟子となると告げられます。

■祇園女御と池殿
白川院の寵姫祇園女御は、平忠盛に下賜されてから男子(清盛)を平産しました。忠盛の正妻池殿はこれをねたみ、女御暗殺を企てます。その前日ひそかに医師と密談した折、池殿は六角堂前で草履を買ったのですが、その草履売り(実は春日社人の息子)は、幼時に御溝の池の辺に捨てられた妹を探している者でした。池殿の足裏の痣から、草履売りは探す妹が池殿だと知り、邸へ入り込みます。しかし池殿の企みを知ってしまい、彼女を刺すのでした。白川院の計らいで祇園女御はこれより池殿と名乗ることとなり、池殿もその思いやりに妄執を晴らして成仏します。

浄瑠璃では池殿が池の辺で拾われた捨て子だったとしていますが、これは、祇園女御の出生が定かでないことを、人物を変えて暗に示していると思われます。祇園女御が池殿と改名したとしていることが1つの証です。浄瑠璃作者は巧みに事実を暗示しているのです。

■熊野と六角堂
浄瑠璃では平太郎の話と祇園女御の話が入り交じって進んでいくのですが、熊野と六角堂への信仰が話の展開にしばしばかかわっています。熊野権現は本地(仏教では仏が仮に日本で神の姿をとっていると考える。その本当の仏の姿)観音菩薩であり、江戸時代は西国三十三観音巡礼の最初の札所として広く信仰を集めていました。京都市内の六角堂もその18番目の札所です。それに、千躰観音で知られる三十三間堂。このようにこの浄瑠璃は西国の観音の霊地霊場を多く取り入れて筋書きが構成されています。これらの霊場への信仰心や興味も作品の人気をあおったのでした。

祐天ファミリー16号(H10/4/15)掲載

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