明顕山 祐天寺

論説

歌舞伎・浄瑠璃と仏教(六)

観世音菩薩(その4)

祐天寺研究室 浅野祥子

観世音菩薩は、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍の菩薩です。
人々に親しまれている観世音菩薩は、歌舞伎・浄瑠璃の中にも大変多く登場します。
今回は観世音菩薩の4回目です。

観音と女性
観世音菩薩は古来、女性の姿として表現されてきました。その無限の慈悲、優しい功力が豊かでたおやかな女性として表現するのにふさわしく思われたからでしょう。古くは、光明皇后のお姿を写したとされる奈良法華寺十一面観音像がその1つの例です。

それから観音は文芸の上でもしばしば女性的な仏として捉えられてきたのです。『平家物語』で生け捕られて斬罪になる寸前の重盛を慰める白拍子が「千手の前」という名であったのもその流れを汲んだ例と言えます。今回取り上げる『曾根崎心中』は観音を女性として捉えた文芸の中でも傑作の1つです。

『曾根崎心中』
元禄16年(1703)4月7日、大坂曾根崎天神の森で、醤油屋の手代徳兵衛と、新地の遊女天満屋のお初とが心中を遂げました。お初は21歳、徳兵衛は25歳の若さでした。お初には豊後の客から身請け話が起こり、一方徳兵衛には叔父でもある主人忠右衛門の養子娘との縁談が起こり、2人で思い詰めた末の心中でした。近松門左衛門はこれに、徳兵衛がお初の身請けをするために工面した金を友人九平次にだまし取られ、そのうえ偽判をしくんだ悪人にされるという筋も加え、純な若者が金銭問題に追い詰められる悲劇という色合いを強めました。そして早速劇に仕組み、『曾根崎心中』は同年5月7日から竹本座で上演されたのです。
この作品の冒頭で、お初は田舎客に連れられて大坂三十三番の観音巡りをします。

三十三に御身を変へ色で。導き情で教へ。恋を菩提の橋となし。
渡して救ふ観世音誓は。妙に有難し

このように語られる観音菩薩は、これから始まる恋愛悲劇の救済の役割を担うとともに、義理に縛られ、しかも汚い世間への憤りで苦しむ徳兵衛を、一緒に死ぬことで救済する、お初その人をも表しているのです。

天満屋の床下に隠れた徳兵衛にお初が足を使って死の覚悟を問う場面、火打ち石の音に紛らわせて戸を開け、2人死の道行きへと出ていく場面など、劇的緊張感の昂まりのうちに、舞台は美しい詞章で知られる道行きの場面を迎えます。

此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふればあだしが原の道の霜。一足ずつに消えて行く。夢の夢こそ哀れなれ。あれ数ふれば暁の七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生の。鐘の響の聞きをさめ。寂滅為楽とひゞくなり。

ついに曾根崎の森に到着し、刃で心中を遂げた2人の噂は、やがて広く大坂中に広まったのでした。

誰が告ぐるとは曾根崎の森の下風音に聞え。取伝へ貴賎群集の回向の種未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり

『曾根崎心中』は竹本座の経営危機を一挙に解決するほどの大当たりをとりました。また、この作品と、続いて書かれた一連の心中物の流行により世間に心中に憧れる気風があふれ、さしたる理由もないのに情死する若者が増え、社会問題にまでなりました。
そのため幕府は享保7年(1722)同8年(1723)と続けて心中物の禁止令を出すに至ったのです。

祐天ファミリー20号(H11/2/15)掲載

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