明顕山 祐天寺

論説

歌舞伎・浄瑠璃と仏教(七)

地蔵菩薩(その1)

祐天寺研究室 浅野祥子

地蔵菩薩は釈迦入滅後から弥勒菩薩が悟りを開いて現れるまでの、56億7千万年の間の無仏の世界の民衆を救う菩薩で、人々に最も親しまれてきた菩薩です。
庶民信仰の世界では子供の僧の姿をした救済者として描かれ、地獄とこの世とを自由に往来して衆生を救う菩薩とされます。

子供の守護
地蔵菩薩は幼くして死んだ子供が集う賽の河原に赴くともされ、子供の守りと考えられてきました。賽の河原は冥土の三途の河原にあり、子供が石を積んで塔を作ろうとすると、大鬼が来てそれを崩してしまい、それを繰り返しているうちに地蔵菩薩が来て救ってくださると言うのです。今回取り上げる「寺子屋」にも、賽の河原の地蔵菩薩の思想が出てきます。

『寺子屋』
歌舞伎・文楽を代表するほど有名なこの段は、竹田出雲、三好松洛、並木千柳作『菅原伝授手習鑑』の一部として、延享3年(1746)に初演されました。全段に親子の別れをテーマとして3作者が競い合って書いたとされ、この段は千柳が担当したと伝えられています。

藤原時平の悪計で都を追われた菅丞相(菅原道真)の1子菅秀才を守り育てる武部源蔵夫婦は、鳴滝村で寺子屋を開いています。寺子屋とは江戸時代の庶民の学校で、読み書きそろばんなどを教えていました。

ある日源蔵が思い詰めた顔をして奉行所から戻ってきます。菅秀才をかくまっていることが知れ、首を討って出すよう命じられたのです。源蔵は身代わりを立てようと決心し、たくさんいる教え子のうち、あの子かこの子か……と思案を巡らしますが、高貴な育ちの菅秀才と名乗れるような顔立ちの子はいません。せっぱ詰まった源蔵の前に、1人の子供が紹介されます。
「お師匠さま、今日から頼み上げます」

今日寺入り(寺子屋に初めて来ること)したばかりという、いたいけなその子、小太郎をじっと見つめていた源蔵の眼が鋭く光を放ちました。
「そなたは良い子じゃのう」

打って変わった夫の上機嫌をいぶかしく見つめていた妻の戸浪は、身代わり首の計画を打ち明けられ狼狽しますが、若君の命には代えられないと納得します。
「せまじきものは宮仕へ」と、子供同然な教え子を惨殺する自分たちの罪を思い、夫婦が嘆いているところに、早くも時平方の首実検役の松王丸と、首受け取りの役の春藤玄番がやってきます。2人に責め立てられ、源蔵は奥の1間に引き込み、やがてえいっという気合いとともに首を討つ音が聞こえてきます。松王丸は無事実検を行い、小太郎の首を受け取った2人は引き上げていきました。

源蔵夫婦が息をつく暇もなく、今度は、先ほど小太郎を預けていった母親千代が現れました。事を成就させるために、千代をも斬ろうとする源蔵に、千代は
「菅秀才のお身代わり。お役に立ててくださったか。まだか様子が聞きたい」
と叫びます。

がらりと開いた小太郎の寺入り用の荷物から出てきたのは、南無阿弥陀仏の名号が書いてある幡と死に装束。もともと身代わりに立てようと、わざとこの日に小太郎を寺入りさせたのでした。

そこに、帰ったと思った松王丸が現れ、小太郎が実は松王丸の子供であることが明かされます。もともと菅家の家来筋の松王丸は、時平に仕えるようになったことを悔やんでいましたが、菅秀才の危難を知って、わが子を身代わりに立てようと差し向けたのでした。
「世倅がなくばいつまでも人でなしといはれんに。持つべきものは子なるぞや。」 そう言いつつも、剛気な松王丸も耐えきれずに号泣します。

あいさつ代わりの菓子は四十九日の蒸し物のつもりで持たせてよこしましたと語る千代の述懐は、血を吐くようです。成長した子を初めて寺子屋へ入れる寺入りが、実は死んで寺に送ることを覚悟のうえであったという皮肉な顛末が、涙とともに語られます。

居合わせた皆が手向ける香の煙のくゆる中、哀切な義太夫の語りのうちに、首のない小太郎の遺骸の野辺送りが行われます。

師匠は弥陀仏釈迦牟尼仏。六道能化(地蔵菩薩)の弟子に成り賽の河原で砂手本。
いろは書子をあへなくも。ちりぬるいのち。ぜひもなや。あすの夜たれか添乳(添い寝)せん。
らむ憂い目見る親心。剣と死出の山けこえ。あさき夢見し心地して跡は。門火にゑひもせず。
京は故郷と立ち別れ鳥辺野。さして連帰る。

幼く散った魂は、賽の河原で砂にいろはを書くのだろうか。地蔵菩薩に救われ、未来成仏できるだろうかと、子供を救うという地蔵菩薩の救済への期待が、やり切れない親たちのせめてもの救いとなります。
江戸時代にはお産の事故も多く、また災害や飢饉、病気などで幼いうちに死ぬ子供が大変多くいました。子を亡くした親たちがたった1つすがれる菩薩、それが地蔵菩薩だったのです。

祐天ファミリー22号(H11/6/20)掲載

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