明顕山 祐天寺

論説

歌舞伎・浄瑠璃と仏教(十)

地蔵菩薩(その4)

祐天寺研究室 浅野祥子

地蔵菩薩は釈迦入滅後から弥勒菩薩が悟りを開いて現れるまでの、56億7千万年の間の無仏の世界の民衆を救う菩薩で、人々に最も親しまれてきた菩薩です。
庶民信仰の世界では子供の僧の姿をした救済者として描かれ、地獄とこの世とを自由に往来して衆生を救う菩薩とされます。

『三人吉三廓初買』
月も朧に白魚の篝も霞む春の空、つめたい風もほろ酔に心持よく浮か浮かと、浮れ烏のただ一羽塒へ帰る川端で、棹の雫か濡れ手で泡、思ひがけなく手に入る百両、
ト懐の財布を出し、にったり思入れ、この時上手にて、厄払ひの声してお厄払ひませう、厄落し厄落しと呼ばわる。
ほんに今夜は節分か、西の海より川の中落ちた夜鷹は厄落し、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつあ春から縁起がいいわえ。

有名なお嬢吉三の台詞ですが、盗賊が扮する嶋田髷のお嬢さまが大川端で片足を杭に掛けてまくし立てる小気味の良い台詞は、聞く者を酔わせてくれます。

『三人吉三廓初買』は、河竹黙阿弥作。安政7年(1860)幕末の江戸、市村座で初演されました。女装した盗賊、お嬢吉三は、夜鷹のおとせから100両を奪い、それを横取りしょうとするお坊吉三と争いになりますが、和尚吉三が止めて和解し、3人は庚申堂の土器で血を畷り合って兄弟分となります。100両は和尚吉三の預かりとなりました。

おとせの持っていた100両は、前の晩客となった十三郎が落としたものでした。十三郎は金を失くしたことを嘆いて大川へ身を投げますが、十左衛門伝吉に救われます。伝吉はおとせの父親ですが実は十三郎の父でもありました。2人は双子で生まれたので、両親は世間を憚り、女の子はのちにお金になるからと家に残し、男の子の十三郎を捨てたのでした。おとせもお嬢吉三に大川に落とされたのですが、命は助かっていて、100両は失ったものの2人はお互いに恋心を抱くようになります。

また、伝吉は人に頼まれて宝刀を盗みに入った家から逃げるとき、吠え付く犬を斬ったことがありました。それは雌の孕み犬でした。その崇りか、ちょうど妊娠中だった伝吉の妻が産んだ子供には、全身に斑のように痣があるのでした。妻は雌犬の話の一部始終を聞くと、血が上り、生まれた子供を引っ抱え、大川に飛び込んで死んでしまいました。それから伝吉は改心し、罪滅ぼしに川端に流れ着く土左衛門(水死者)を引き上げるので、土左衛門伝吉というあだ名が付いたのでした。しかし今度また、兄妹同士が契り合うという、畜生道に堕ちたことを知り、伝吉は因果の恐ろしさに身がすくみます。

ところで伝吉の長男が実は盗賊の和尚吉三だったのですが、様子を知って100両を伝吉の家の仏壇に置いていきます。しかしその金は伝吉の手には入らず、かえってそのために伝吉はお坊吉三に殺されます。

お嬢吉三とお坊吉三は数々の悪事がばれて追っ手がかかります。和尚吉三は、2人を捕らえて差し出せば罪を許すと言われて、2人を捕らえる約束をします。実はおとせと十三郎を殺して贋首を差し出すつもりなのです。

以下は、和尚吉三が弟妹のおとせ十三郎を殺す「吉祥院裏手の場」の場面です。回り舞台により、すでに出刃包丁を振り上げている和尚吉三と傷ついた2人が現れます。

吉祥院裏手の場 本舞台三間の間所々に石塔上手にこはれ掛かりし湯灌場、下手に同じく崩れかゝりし車井戸、柳の立木、後ろ藪、朧かゝり、すべて本堂の裏手墓場の軆。ここに以前の和尚吉三出刃包丁を振り上げ、上下に十三、おとせ手を負ひ居る、この見得にて道具留まる、と一寸立ち回って和尚肌を脱ぎ切って掛かる、これにて石塔の廻りをまはり、車井戸を遣ひ立ち回り宜しくあって両人を切り倒しきっとなる。
とせ こりや兄さんには、気が違ってか、
十三 何故あって二人を、
とせ お前は手に掛け、
十三 殺すのぢや。(中略)
トこれより地蔵経のやうな独吟になり、和尚墓手桶茶碗を持つて来て水を汲み、両人に水盃をさせる。両人犬の思入にて這ひ寄り水を呑む、和尚是を見て情ないといふこなし、(以下略)

冒頭に述べましたが、オペラのアリアのような独白を聞かせるお嬢吉三の美しい姿、あるいは最終章に雪中でお嬢吉三が八百屋お七ばりに櫓の太鼓をたたく派手な場面などが印象的なこの狂言ですが、実はいくつもの非常に暗い因縁因果、宿命観によって形作られているのです。そして、畜生道に堕ちた双子の兄妹が殺される陰惨な場面で下座に流れる地蔵経。地蔵菩薩だけが彼らを救う可能性があるとして、暗示的に演奏されます。

この下座音楽の地蔵経は、地蔵和讃とも呼びます。「奇妙頂来地蔵尊、悪趣に出現ましまして……」という一言葉で始まり、小型の伏鉦「松虫」を打ち合わせて演奏します(平凡社『演劇百科大事典』より)。

武家の盛んだった時代は終焉を迎え、町人経済もすでに陰りを見せている幕末に生まれた世話物の狂言である『三人吉三廓初買』。この作品の神髄は、夜鷹に盗賊、身投げに人殺しといったさまざまな悪の世界が、庚申信仰の土俗性を彩りに描かれていることにあります。そしてこれら、地に蠢くようにして生きている最下層の庶民の救いとしてふさわしいのは、やはり地獄を済度する地蔵菩薩だったのです。

祐天ファミリー26号(H12/4/15)掲載

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