明顕山 祐天寺

論説

歌舞伎・浄瑠璃と仏教(十二)

不動明王(その1)

祐天寺研究室 浅野祥子

不動明王は、大日如来が悪をこらしめるために憤怒相に化身したとされます。火生三昧に入って一切の罪障を破り、動揺しないため不動と言います。左目を細く閉じ、下の歯で上唇をかむ憤怒形。辮髪をたらし、猛火を背負って右手に利剣、左手に羂索(縄)を持って煩悩を断じる姿を基本とします。

不動明王は、修験者の守護をなすと信じられ、行者にはとりわけ信仰されました。関東で特に盛んに信仰を集め、東京都目黒区瀧泉寺の目黒不動や、千葉県成田山新勝寺の成田不動などが有名です。

歌舞伎の市川団十郎の家では代々成田不動に信仰を寄せ、由縁の狂言(演目)も数多く演じてきています。特に『勧進帳』は、市川家の十八番の一に入れられているのみならず、歌舞伎全体をも代表する人気狂言として今でもたびたび上演されます。

歌舞伎十八番之内『勧進帳』
天保11年(1840)3月、江戸河原崎座で初演されました。弁慶を勤めたのは五世市川海老蔵(のちの七世団十郎)。能の『安宅』をもとにした作品です。壇ノ浦の戦いで平家を攻め滅ぼした源義経は、兄頼朝の疑いを受け、今度は自分が追われる身となって奥州へ落ち延びようとします。頼朝はこれを警戒して諸国に新しく関所を設置しました。その1つ、加賀国安宅の新関が舞台となります。関守は富樫左衛門です。

山伏に身をやつした義経主従が関に差し掛かると、富樫が呼び止めます。東大寺再建を目指す勧進のため、諸国を回る山伏であると名乗っても疑いは晴れません。義経の家臣弁慶は、今生の最後の勤行をしたうえで殺されようと、亀井・片岡・駿河・常陸坊の義経四天王の家来たちを促してともに数珠を押しもんで祈祷を行います。

次に、勧進僧ならば勧進帳(勧進の趣を述べた文書)を所持しないことはないだろう、それを読んでほしいという富樫の申し出に、以前比叡山の遊僧であった弁慶は白紙の巻物を開き、あたかも文章が書き連ねてあるがごとく、咄嗟の創作の文章を朗々と述べ立てます。そしてそのあとの「天も響けと読み上げたり」で、口を喰い縛って目をむき、不動明王の立像の形を取ります。有名な「不動の見え」です(山伏問答の中にも1か所あり)。不動明王は山伏を守護する仏であり、あとの引用文でも山伏の姿は、不動明王の姿をかたどっていることが語られています。

富樫は弁慶の様子を見、またさらに本物の山伏でなければ知りえないような、いわれや心得について質問をします。そして、すべてについて見事に答えた弁慶を富樫は真の山伏と信じ、いったんは関を通そうとします。

しかし、番卒の1人が一行の中に強力(荷持ち)姿で混じっていた義経を判官殿(義経は九郎判官とも言う)に似ていると見とがめたため、再び一行は詮議を受けることとなりました。弁慶は「わずかな笈1つ背負って後ろから通るお前の技がつたないゆえに、皆が疑われるのだ」と、義経を打ち打擲します。これも、詮議を逃れて義経を無事奥州へ逃す方便なのです。

富樫はもはやこの一行が義経主従であることを確信していたのですが、このさまを見て、決死の覚悟で義経を守ろうとする弁慶の衷心に心打たれ、関を通す決意をしました。もちろんあとの責めは自分で負う覚悟のうえです。富樫と弁慶、両者の間に通じ合った感動と黙契を口に出さずに表現するのが、役者の腕の見せどころです。

関を通ってほっとした義経一行のところへ、富樫から酒が届きます。あくまで、尊い山伏を疑った詫びのためという建て前で、一行をねぎらったのです。この場では、義経と弁慶の主従の情愛、またしだいに酔っていく弁慶が舞う延年の舞が見どころとなります。

それでは一番緊張感の高まる山伏問答から、一部引用しておきましょう。「いかに」「いかに」とたたみ込んで問い掛ける富樫と、間髪置かずに応じる弁慶との丁々発止のやり取りにせりふ術が発揮されます。

富樫 目に遮り、形あるものは切り給うべきが、もし無形の陰鬼陽魔、仏法王法に障碍をなさば、何をもって切り給うや。
弁慶 無形の陰鬼陽魔亡霊は、九字真言をもって切断せんに、なんの難き事やあらん。
富樫 して山伏の出立は。
弁慶 すなわちその身を不動明王の尊容にかたどるなり。
富樫 頭にいただく兜布はいかに。
弁慶 それぞ五智(界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)の宝冠にて、十二因縁の襞を取って、これをいただく(兜布の12の襞が、無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・所有・生・老・病・死の十二因縁を表しているとする)。
富樫 かけたる袈裟は。
弁慶 九会曼荼羅の柿の篠懸(九会曼荼羅を象徴する柿色の篠懸)。
富樫 足にまといしはばきはいかに。
弁慶 胎蔵黒色のはばき(胎蔵界を象徴する黒色の脚絆)と称す。
富樫 さて又、八つのわらんずは。
弁慶 八葉の蓮華を踏むの心なり(草鞋を仏像の蓮台になぞらえている)。
富樫 出で入る息は。
弁慶 阿吽の二字(阿は開口の第一音、吽は閉口の音であり、一切諸法の最初と最後を表す)。

 祐天ファミリー29号(H12/12/1)掲載

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