明顕山 祐天寺

論説

歌舞伎・浄瑠璃と仏教(十三)

不動明王(その2)

祐天寺研究室 浅野祥子

 

不動明王は、大日如来が悪をこらしめるために憤怒相に化身したとされます。火生三昧に入って一切の罪障を破り、動揺しないため不動と言います。左目を細く閉じ、下の歯で上唇をかむ憤怒形。辮髪をたらし、猛火を背負って右手に利剣、左手に羂索(縄)を持って煩悩を断じる姿を基本とします。

◆不動明王への祈願
憤怒相の不動明王は、その偉大な力に信仰が寄せられ、厄よけ祈願の対象にもなりましたが、時として邪悪な願望を成就させることに力を貸す存在にもなりました。

文徳天皇の后藤原明子(染殿后)は、天狐に悩まされていました。相応和尚が祈祷を命じられ、日頃信仰する不動明王に祈ります。しかし明王は相応のほうを向かず、背を向けてしまうのでした。相応が理由を尋ねると、明王は「天狐の正体は后に妄執を抱いた真済僧正だ。しかし、真済はかつて不動明王を信仰しており、その呪を操る者であるから、わが力では倒せない。大威徳明王の呪ならばあるいは倒せるかもしれない」と述べます。結局、大威徳明王の呪によって真済を縛することができたのです。『古事談』などに載る説話ですが、如来や菩薩とは違う、明王という位の仏の性質が出ている話と言えるでしょう。                                                              今回取り上げる歌舞伎の『鳴神』に出てくる不動明王も、世の中に干ばつを起こしている鳴神上人を加護しています。誤った行為を犯している人物であっても、自分を信仰していれば護る場合があるからなのです。

歌舞伎十八番の内『鳴神』
正式の題は『鳴神不動北山桜』と言います。津打半十郎・安田蛙文・中田万助らの合作です。寛保2年(1741)正月、大坂の佐渡嶋長五郎座で初演されました。歌舞伎十八番の1つに数えられています。

帝の后が懐妊したとき、占いにより誕生は姫と知れました。朝廷の命を受けた鳴神上人は変成男子(女性を男性に変えること)の祈祷を行い、その功あって皇子が誕生しました。願成就の暁にはどのような望みも思いのままと言われていた鳴神上人は、戒壇(僧になる者に戒律を授ける壇)を建立して欲しいと願いました。しかし、朝廷は約を破って戒壇建立を拒否したのです。

鳴神上人は朝廷を恨み、全世界の竜神を北山の滝壺に閉じ込めて岩屋に籠もりました。おかげで世の中には雨が1滴も降らなくなり、人々は渇きに苦しみました。
朝廷は雲の絶間姫という、朝廷一の美女を遣わし、色仕掛けで鳴神上人の法を破ろうとします。

初めは志操固く女性を近付けようとしない鳴神上人ですが、「婚約者に死なれて出家を志す」という姫の同情をそそる巧みな話術に誘い込まれ、しだいに色香に迷わされていきます。姫が「夫婦の杯」と称して上人に生まれて初めての酒を飲ませたとき、壇上に掛けてあった不動明王の掛け軸から、明王の姿が消え失せます(元は燃え上がる仕掛けだったようです)。不浄の身となった上人は、不動明王の加護を失ったのです。

そして、酒に弱い上人が杯を重ねて泥酔している間に、絶間姫は竜神を閉じ込めた滝の注連縄を切ります。結界が開かれたので、三千世界の竜神が飛び出し、あたりには稲光がひらめいて豪雨となるのでした。だまされたと知った鳴神上人は怒りの形相すさまじく、絶間姫を追っていく……というところで幕となります。

引用は、絶間姫が上人に酒を飲ませようとしているところ、続いて不動明王像が燃えるところです。

鳴神 サアサア、そもじお始めなさい
絶間 イヤマアあなたからお始めなされませ
鳴神 イヤ、この盃は俗家のものに聞いたが、女の方からさすものじゃないか、サアサア始めい始めい
絶間 アアもし、わたしゃたんとは。サアこれが二世迄の固めじゃぞえ
鳴神 願以此功徳一切衆生とは、酒に生るるとかきかへるじゃ。アハハハハ(酒を注がれるが呑めぬこなし)
絶間 アアコレ、どうしたものでござんす
鳴神 酒は一吸も呑めぬ
絶間 サア、常は下戸でもあらふが、目出度き折から、一つあがって私へ
鳴神 ハテ、呑めぬものを
絶間 アノ、私が勧めるに、呑ましゃんせぬかへ
鳴神 呑まふ呑まふたしなみ難き色衣、数珠につながる閼伽の水(トこれにて薄ドロドロになり戒めを破ってぐっと呑み干し)(トどろどろ激しく、壇上に掛けし不動の画像燃へ上がる仕掛。鳴神、うっとりしたる思入)
絶間 どうかしなさんしたかへ
鳴神 生れてはじめて酒を呑んだれば、腹の内がひっくり返る。オオ寒ふなった
絶間 下戸はみんな、そんなものでござんす
鳴神 サア、貴さまに戻さう
絶間 ハテ、婚礼に戻さうとは言はぬものじゃわいナァ
鳴神 そんなら帰さう
絶間 かへさうとも言ぬものじゃ
鳴神 そんならオオ、おおさめなされひ

「祐天ファミリー」30号(H13/2/15)掲載

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